「中越地震がなければ、今の自分は…」小学1年生で被災した26歳“プロ和太鼓奏者”の生き様 山古志から奏でる“ふるさと復興の音色”

AI要約

新潟県長岡市の山古志地域で2018年に開かれた成人式で、中越地震を経験した坂牧颯人さんが和太鼓奏者として活躍する姿が紹介された。

中越地震を経験したことが太鼓を始めるきっかけとなった坂牧颯人さんは、震災を乗り越えて成長し、地元で活動することに誓いを立てた。

坂牧颯人さんは太鼓を通じて、地元の老人クラブで講師として登壇し、自身の人生や太鼓にかける思いを語っている。

「中越地震がなければ、今の自分は…」小学1年生で被災した26歳“プロ和太鼓奏者”の生き様 山古志から奏でる“ふるさと復興の音色”

新潟県長岡市の山古志地域で2018年に開かれた成人式。

「中越地震を経験したからこそ、今の山古志、今の私たちがあるのだと思います」と誓いの言葉を述べた、ひとりの男性がいました。

坂牧颯人(さかまき・はやと)さんです。

あれから6年がたち、坂牧さんは中越エリアでただ1人という『プロの和太鼓奏者』になっていました。「中越地震がなかったら、今の自分はいない…」坂牧さんがそう話すわけと、演奏に込める思いを聞きました。

“日本の原風景”が残るといわれる長岡市の山古志地域。9月、稲刈り前の田んぼが黄金色に輝く中、26歳になった坂牧颯人さんに話を聞きました。

「太鼓は本当にからだの一部ですね。たたかないと不調になるんですよ、もうなんかリズム刻んでいないと…」

山里の風景を見つめながら、こうつぶやいた坂牧さん。

この日、出身地・旧山古志村の隣にある川口地域で開かれた老人クラブの研修会で、講師として登壇。およそ70人の来場者を前に、和太鼓奏者として生きることを選んだ自身の人生について語りました。

「太鼓を始めたきっかけが“中越地震”というふうにお話させていただいた…」

2004年に発生した中越地震。

旧山古志村は震度6強の揺れに見舞われ、坂牧さん家族は南魚沼市での避難生活を余儀なくされました。当時、坂牧さんは小学1年生。入学からわずか半年後の出来事でした。

【坂牧颯人さん】

「地震は結構ショックがでかくて…。地震関連で環境が2回も変わってというのが大きくあったので」

慣れない環境で一時、不登校になったこともありました。そんな坂牧さんを変えたのが、太鼓との出会いです。

「太鼓芸能集団『鼓童』の復興支援の一環で、被災した地域の学校に“学校公演”という形で回っていたんですね。本当に肌で太鼓の力強さを感じて、なんか自分の中で『これだ!』というものに出会えたんですね」

その後、避難先から山古志へと戻り、小学3年生で太鼓を習い始めた坂牧さん。高校卒業と同時に鼓童の研修生として佐渡に渡り、まさに太鼓漬けの生活を送っていました。