長崎くんち【銀屋町・鯱太鼓】亡き師匠の思い胸に過去最高の奉納を 町の伝統を子へつなぐ親子も《長崎》

AI要約

長崎くんちの準備が進行中で、過去最高の「鯱太鼓」奉納に向けた様子が描かれています。

銀屋町の奉納は、中国の故事を元にした「鯱太鼓」であり、10年ぶりの山飾が登場します。

亡くなった師匠の存在がメンバーにとって大きく、特別な思いを抱えて臨む今年の奉納に注目が集まっています。

長崎くんち【銀屋町・鯱太鼓】亡き師匠の思い胸に過去最高の奉納を 町の伝統を子へつなぐ親子も《長崎》

いよいよ来月に迫った「長崎くんち」銀屋町を紹介します。

亡き師匠の思いを胸に過去最高の「鯱太鼓」の奉納を目指します。

7月、諏訪の踊り馬場。担ぎ手の声が響きます。

10年ぶりに「鯱太鼓」の山飾が入りました。

(長采 髙田 雄康さん(55))

「10年ぶりにあの場に立って、深呼吸してやった。自分が思う鯱太鼓は担ぎ手が一番の主役なので、そこを意識して頑張ってもらいたい」

鯱が激流を昇り、やがて黄金の龍になる様子を表現した銀屋町の『鯱太鼓』。

中国の故事「蓬莱鯱伝説」をもとに作られ、1985年から奉納しています。

今年で6回目の奉納ですが、メンバーには今回、特別な思いがあります。

(棒先 飯谷 友顕さん(48))

「くんちという何年も続いたものを継承していくのは、お前たちの仕事だぞと言われていた」

(長采 髙田 雄康さん(55))

「自分たちがやりたいようにやりなさいと、そのようなことをずっと言っていた。”高木さん” が」

鯱太鼓を一からつくり上げた1人、高木忠弘さん。

長采や実行委員長などを務め、銀屋町の奉納を長く支えてきましたが、4年前に亡くなりました。

メンバーにとっては「師匠」と言える存在。

過去最高の奉納を高木さんに見てもらいたいと考えています。

山飾の担ぎ手は、総勢51人。約半数は新人です。

今年1月から、ランニングなど体力づくりをスタート。

5月上旬から山飾を担ぎ始め、小屋入り後は土日以外のほぼ毎日、稽古をしています。

(長采 髙田 雄康さん(55))

「何回上げられるか分からないけど担ぐぞ」

櫓の上には、まだ「鯱」の姿はありません。

替わりに鉄の粉を入れた袋を乗せています。

重さは約800キロ。これを38人で担ぎます。

山飾は、地面と平行に「上げ」なければなりませんが、重さにふらつき。

なかなかきれいには上がりません。

(長采 髙田 雄康さん(55))

「鯱が乗っていない状態で、練習用の山飾としても、(完成度は)まだ半分くらいじゃないか。(みんなが)一つになった時に、ボンという上げができるのかな」