「日本中の夜空に新たな市場つくる」 地方発スタートアップ ドローンショー・ジャパンの山本雄貴社長

AI要約

山本雄貴社長が、起業の経歴やドローンショー・ジャパンのビジョンについて語る。

過去の起業経験やIT業界でのキャリア、そしてドローンショービジネスに着手する経緯を紹介。

地方(石川県)を起業の拠点に選び、ドローンショーを通じて世界をエンタメ化するミッションに取り組む姿勢を語る。

「日本中の夜空に新たな市場つくる」 地方発スタートアップ ドローンショー・ジャパンの山本雄貴社長

 国内で行われる夜空をステージにしたドローンショー。その多くを手掛ける石川県発のスタートアップ企業、ドローンショー・ジャパンの山本雄貴社長。「世界をエンタメ化する」を企業理念に掲げ、山本社長はどんな新しい世界を作ろうとしているのか。そして、なぜ東京ではなく、石川を起業の地に選んだのか。阪本晋治が迫る。(佛崎一成)

─社会人キャリアの多くをスタートアップで過ごされた。

 もともと他人の敷いた道をなぞるのは好きではなく、学生時代から起業を考えていた。新卒採用された三井住友銀行に勤めながら、休日には自ら作った事業計画を携え、ドアノックでベンチャーキャピタル(VC)に足を運んだ。そこで、投資家から「銀行を辞めて取り組むのなら出資するよ」と後押しを受け、24歳で起業した。

─事業はうまく行ったのか。

 結果から言うと、上手く行かなかったから今がある(笑)

─その時は何の事業をしていたのか。

 ドキュメントシェアリングといって、わかりやすく言えばユーチューブのドキュメント版だ。ユーザーがPDFやパワーポイントなどの文書ファイルを投稿でき、知識を共有し合えるオンライン図書館のようなサービスだった。

─何がよくなかったのか。

 著作権に関わる違法コンテンツがどんどん投稿される事態になってしまった。ユーザーは増えていったが、軌道に乗る前に息切れし、最後は中国の「百度(バイドゥ)」に売却した。現在の「百度文庫(バイドゥライブラリー)」がそれだ。

 その後はモバイルゲーム事業に舵を切り、会社を吸収してもらう形で取締役として再スタートした。しかし、ゲーム事業は自宅に帰れないほど多忙を極めた。

 家族もいる中で「この業界を続けるのは難しいかもしれない」と思い、スマホアプリの企業に移った。現在のオーケストラホールディングスで、株式上場するタイミングには取締役を務めていた。

─IT業界の中で新事業に次々と取り組まれてきた。

 自分自身、変化するところに身を置きたい思いが強い。それぞれ異なるビジネスに見えるが、一貫してエンターテインメント領域に身を置いていた。

─その後、ドローンショーのビジネスに着手したが、最初はドローンのテクノロジーに興味を持ったのか。

 いや違う。たまたま2019年に中国で1000機を超えるドローンを飛ばし、ギネス記録を塗り替えたニュースを目にした。そこで初めてドローンショーというコンテンツを知り、衝撃を受けたのがはじまりだ。

─ドローンショーを事業化するのに、東京ではなく、あえて地方(石川県)を拠点にした理由は。

 人・モノ・カネの流れを見てもスタートアップの地としては東京が有利だ。だから、地方で起業家が育ちにくい。この流れを変えたくて、出身地の石川県を拠点にしようと考えた。

 そのためには東京ではまねできない、地方の強みを生かしたビジネスでなければならない。それに当てはまったのがドローンショーだった。約200㍍四方の広大な土地が必要で、行政のバックアップも重要になる。この辺りは地方の方が融通が利くのでチャンスを感じた。

─東京一極集中が進み、地方の産業の空洞化が問題になっているが、一石を投じたわけか。

 東京と違うモデルを作るためにも、西日本の中心地である大阪に注目している。大阪を中心に地方がワンチームとなって盛り上げることが必要だと思っている。

─ドローンショーでは今、どんなことに取り組んでいるのか。

 われわれの企業理念は「世界をエンタメ化する」だ。その最初の事業としてドローンショーを選んだ。ドローンの操作に自動運転などの革新的な技術を使い、人々に驚きと感動を与えて笑顔にするのがミッションだ。

 当初は花火や祭りなどのにぎやかしに活用されることが多かったが、最近は企業のプロモーションなどへの活用例が増えている。ロート製薬の案件では、目の愛護デーで空に大きな目を表現したり、万博まであと1年のタイミングに夜空にミャクミャクを表現したり…。

 手前みそだが、われわれのスタッフも一流ぞろいだ。MRJ(三菱スペースジェット)で国産航空機を作っていた人材や、大手商社で海外事業や新規事業に従事していた人材など、地方スタートアップながら、世界に通用するメンバーに恵まれた。