家康が重用した青い目のサムライ「三浦按針」の功績、後世に 伊東市各地に彫刻や模型

AI要約

ウィリアム・アダムスは伊東市にゆかりの深い英国人であり、日本初の洋式帆船を建造した外交顧問である。

按針メモリアルパークには按針の胸像やサン・ブエナ・ヴェンツーラ号をかたどったモニュメントがあり、彫刻家の重岡建治さんが手がけた。

按針は大航海時代に日本にたどり着き、伊東市で大きな功績を残した。

家康が重用した青い目のサムライ「三浦按針」の功績、後世に 伊東市各地に彫刻や模型

 伊東市民に広く、名を知られた一人の英国人がいる。400年以上前に生きたウィリアム・アダムス(日本名・三浦按針、1564~1620年)。徳川家康の外交顧問を務め、同市の松川河口で日本初の洋式帆船を建造するなど市にゆかりが深い人物だ。市街地には彼の功績を後世に伝える造形物があり、長年にわたり偉業をたたえる行事が続いている。

 松川河口に位置し、相模灘を望む按針メモリアルパーク(同市渚町)。按針の胸像や伊東で建造された「サン・ブエナ・ヴェンツーラ号」をかたどったモニュメントが並び立つ。市内の大室高原にアトリエを構える彫刻家の重岡建治さん(88)が手がけた。

 按針は1598年、オランダ船に乗り、マゼラン海峡を抜けるなどして1600年に大分県臼杵市に漂着した。時は関ケ原の戦いの直前。按針は後に家康から重用され、水先案内人の意味を持つ「按針」の名を与えられた。

 苦難の航海の末に日本にたどり着いた按針。重岡さんは「力強い、一人の海の男を表現した」と胸像に込めた思いを語る。船のモニュメントは風や視線が抜けるデザインで、背景の広大な海や空に溶け込み、海原を駆けるように映る。重岡さんは「自然を取り入れるようにした」と狙いを話す。

 按針にまつわる展示は他にも。伊東市役所1階ロビーでは、大型の船の模型が来庁者の目を引く。ヴェンツーラ号をイメージした模型で、市制施行50周年を記念して作られた。按針の名を冠した市最大の観光イベント「按針祭」は今夏、78回を迎えた。英国との学生交換の取り組みも続き、按針が築いた日英友好の架け橋が今もなお、受け継がれている。

 按針の生誕は9月。市民団体「伊東按針会」は今年も23日に、生誕祭を開催する。3代目会長の武智幹夫さん(80)は「大航海時代の歴史の一コマが伊東にある。訪れた人たちに知ってもらいたいし、地元の子どもたちには誇りを持ってもらいたい」と次世代につなぐ思いを強くする。