2024年奄美の夏 群島各地で厳しい暑さ 台風10号接近で被害

AI要約

奄美の夏の出来事を振り返ると、猛暑や台風の影響、医療法人創設者の死去など様々な出来事があった。

塩田知事の再選や夏祭りの復活、スポーツの活躍、死亡事故の発生なども記録されている。

暑さや災害、悲喜こもごもだった2024年の奄美の夏を総括した。

2024年奄美の夏 群島各地で厳しい暑さ 台風10号接近で被害

 今年の夏も奄美ではさまざまな出来事があった。奄美市名瀬では7年ぶりに35度を超える猛暑日を観測するなど、奄美群島各地で厳しい暑さが続いた。8月下旬には台風10号が奄美地方に接近し、喜界島、奄美大島を中心に被害が発生。全国規模の医療法人「徳洲会グループ」創始者の徳田虎雄氏が死去し、奄美でも驚きと悲しみが広がった。県知事選は現職の塩田康一氏が新人2人に圧勝して再選。陸、海の両方で死亡事故が相次いだ。2024年夏を振り返る。

 ■気象

 奄美市名瀬では7月1日、7年ぶりに35度を超える猛暑日を観測した。この日以降も厳しい暑さが続き、猛暑日の年間日数は1942年の最多13日に並んだ。瀬戸内町古仁屋、天城町、伊仙町、与論町でも観測史上最高気温を更新した。

 8月22日にマリアナ諸島付近で発生した台風10号は当初の進路予想より西寄りに進み、奄美地方の北部を暴風域に巻き込んだ。奄美大島と喜界島を中心に建物や農作物などへの被害が発生。県がまとめた農業被害は30日現在、白ゴマやサトウキビの倒伏、折損などで被害額が計2億7440万円に上った。

 ■徳田虎雄氏死去

 全国規模の医療法人「徳洲会グループ」創設者で、元衆院議員の徳田虎雄氏が7月10日、神奈川県内の病院で死去した。86歳。徳之島町出身。2002年に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、闘病中だった。

 徳田氏は1975年に医療法人徳洲会を設立。「生命(いのち)だけは平等だ」の理念の下、病院を全国展開し、一代で国内最大級の医療グループを立ち上げた。

 「医療改革には政治力が必要」との考えから、83年に旧奄美群島区から衆院選に初挑戦するも落選。3度目の挑戦となった90年の衆院選で初当選し、通算4期務めた。

 ■選挙

 県知事選には現職、新人の計3人が立候補。7月7日に投開票され、現職の塩田康一氏が33万7357票を獲得して再選した。

 奄美群島5町村(宇検、龍郷、和泊、知名、与論)の議会議員選挙は8月20日告示、25日投開票の日程であり、52人の議員が新たに選出された。宇検村は3回連続の無投票。与論町を除く3町の投票率は過去50年間で最低だった。

 ■夏祭り・観光

 奄美群島の夏祭りは宇検村、徳之島町、伊仙町を除く9市町村で行われた。奄美市の第61回奄美まつりでは、新型コロナウイルス下で中止となっていた八月踊りと市中パレードが5年ぶりに復活。八月踊りには29団体約2千人が参加し、各シマ(集落)の歌や踊りを披露した。

 猛暑日が続く中、屋内の観光施設もにぎわった。奄美市のクーリングシェルター(指定暑熱避難施設)となっている笠利町の県奄美パーク・田中一村記念美術館では、8月来館者数が1万1172人と前年比で3239人増加。担当者は「(来館者から)涼しいという声も聞かれた。多くの家族連れなどが訪れていた」と話した。

 ■スポーツ

 県中学総体の柔道競技で古仁屋女子が団体優勝し、全国大会では16強入りした。個人ではいずれも古仁屋の高森樹里が16強、米田美音が32強に入った。

 高校相撲では全国十和田大会で、古仁屋中出身の重村鴻之介(近大付属1年)が個人準優勝。全国高校総体では福崎真逢輝(樟南3年、名瀬中出身)が個人で4強入りするなど奄美出身者が活躍した。

 全国高校野球甲子園大会では、奄美市名瀬出身の池崎安侍朗(あんじろう)(明徳義塾1年)が初戦を完封するなど2試合を投げ切り、同校16強入りの原動力となった。

 ■事件、事故

 陸と海の両方で死亡事故が相次いだ。奄美市では7月21日に住用町の国道上で車同士が正面衝突し、普通乗用車を運転していた70代男性が亡くなった。8月7日には与論町の路上で普通自動二輪車がコンクリート壁に衝突。運転していた60代男性が死亡した。

 徳之島町では7月14日にダイビングの講習を受けていた50代女性が亡くなった。8月には天城町の魚港に車を残し海に入った可能性がある70代男性が行方不明になり、現在も見つかっていない。

 火災もあった。8月24日夜に与論町で住家が全焼し、住人の60代男性が犠牲となった。