鬼籍に入る郷土の記憶(8月25日)

AI要約

庭坂事件と松川事件は、福島市内で列車の脱線転覆が起きた冤罪事件であり、真相はいまだ謎に包まれている。

庭坂事件は1948年に発生し、蒸気機関車と郵便車が転落し、機関士ら3人が亡くなった。内外の思惑と労働運動の影響があった可能性もある。

鉄道の歴史の傷は忘れてはならず、今も慰霊碑が立ち、山形新幹線が駆け抜ける。戦後の記憶を風化させず、昭和史の光と影を見つめていく。

 庭坂事件は、戦後最大の冤罪[えんざい]事件とされる松川事件の前年に起きた。いずれも福島市内で発生した列車の脱線転覆で、真相は謎のままだ▼1948(昭和23)年4月27日未明、旧国鉄奥羽線の庭坂駅近くで青森発上野行き急行列車が脱線し、蒸気機関車と郵便車が築堤下に転落した。客車は転覆を免れ、乗客にけがはなかった一方、機関士ら3人が亡くなった。翌日の福島民報は「列車妨害事件」の見出しで線路の継ぎ目板や犬くぎなどが抜き取られていたと報じた▼同様の未解決事件は愛媛県の予讃線でも起きている。一連の出来事は、内外の思惑が渦巻いていた戦後復興期の闇と言えようか。それぞれに労働運動に絡む正体不明の動きがあったのかもしれない(阿部喜太郎著「いまだから書ける庭坂事件そして松川」)。庭坂事件から76年。松川事件は今月、75年を迎えた▼築堤下に慰霊碑がひっそりと立ち、今は山形新幹線「つばさ」が駆け抜ける。鉄道の旅は快適になっても、鉄路に刻まれた歴史の傷を忘れてはなるまい。終戦から79年が過ぎ、年号が2度変わり、戦後はどんどん遠ざかる。昭和史の光と影を虫の目で見る。風化の鬼籍に入りつつある郷土の記憶はないか。<2024・8・25>