夏目漱石「坊っちゃん」のモデルは新潟県人だった?意外なつながり発見!

AI要約

夏休みに代表的な宿題である読書感想文に選ばれることが多い夏目漱石の「坊っちゃん」のモデルが新潟県人であるという意外な説が紹介されている。

「坊っちゃん」の主人公「おれ」のモデルが新潟県柏崎市生まれの関根萬司とされ、その事件が小説の乱闘事件と似ていることから説が支持されている。

また、漱石と関根萬司の間に直接の接点はみられないが、漱石の元で学んだ新潟市出身の教え子が関根氏の後任として赴任し、事件を伝えた可能性がある。

夏目漱石「坊っちゃん」のモデルは新潟県人だった?意外なつながり発見!

 子どもたちの夏休みもあと少し。夏休みにつきものの宿題が気になるころです。代表的な宿題といえば読書感想文。誰もが知る日本文学の名作、夏目漱石の「坊っちゃん」をテーマに選んだお父さんお母さんもたくさんいるでしょう。でも、「坊っちゃん」のモデルは新潟県人だった!そんな意外な説があることをご存じの人は少ないのでは?(デジタル戦略特別室主幹・鶴間尚)

 「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」の書き出しで知られる「坊っちゃん」は1906(明治39)年に発表されました。東京物理学校(後の東京理科大)を卒業し、四国の旧制中学校に数学教師として赴任した「おれ」が主人公です。同僚の教師らに「赤シャツ」「うらなり」などユニークなあだ名をつけたり、次々と起こる騒動がテンポ良く描かれたりしていることから、漱石の作品の中でも人気が高い小説です。

■小説の「乱闘事件」と重なる事実が!

 一般的には、「坊っちゃん」の舞台は愛媛県松山市、「おれ」は松山中学校で教鞭をとった漱石の同僚などとされています。

 「実は主人公のモデルは新潟県人だった」という驚きの説は、新潟市沼垂地区の郷土史を語り継いでいる和泉郁子(いずみ・いくこ)さん(84)が8月3日、新潟市での講演会で紹介しました。和泉さんによると、「坊ちゃん=新潟県人説」を唱えたのは、新潟県上越市の勝山一義(かつやま・かずよし)さん。関根学園高校(上越市)などの校長を務め、2015年に亡くなりましたが、生前に「『坊っちゃん』誕生秘話」など著書を4冊出版しています。

 勝山さんが「坊っちゃん」のモデルと推論するのは、新潟県柏崎市生まれで関根学園高校の創立者・関根萬司(せきね・まんじ)という人です。関根氏は、主人公の「おれ」と同じく東京物理学校で数学を学び、卒業後、宮城県角田町(現角田市)の尋常第四中学校の教師になりましたが、試験問題漏えい疑惑事件の責任を取らされ、新潟県の学校に異動になったといいます。

 「坊っちゃん」では、「おれ」は学生同士の乱闘事件に巻き込まれ、それが引き金となって、わずか1カ月ほどで学校を去ることになります。その乱闘事件が、第四中での事件とよく似ていると勝山さんは主張しています。

■清の好物も新潟との関係におわせ?

 モデルとされる関根氏と漱石の間に直接の接点はみられません。ただ、東京大学英文科で漱石から教えを受けた新潟市出身の堀川三四郎(ほりかわ・さんしろう)氏が1904年、関根氏の後任として第四中に赴任しています。堀川氏が1年2カ月後に第四中を辞任するとき、恩師である漱石に就職先紹介をお願いしており、そのときに第四中の事件を漱石に伝えたのではないかと考えられます。

 「坊っちゃん」が発表されたのは1906年。堀川氏が漱石に就職先紹介を頼んだ直後のタイミングです。一方、漱石が四国の松山中に赴任していたのは「坊っちゃん」発表の10年前。松山中在任中は目立った対立関係もなかったことから、第四中の事件に着想を得た可能性が高いといえます。

 加えて、「坊っちゃん」に登場するばあやの「清(きよ)」が「越後の笹飴(ささあめ)を食べたい」と語るエピソードもあり、新潟とのかかわりを連想させます。

 「『坊っちゃん』のモデル=新潟県人説」を講演会で紹介した和泉さんの祖父は、漱石に第四中の騒動を伝えたと推測される堀川氏のいとこに当たります。和泉さんは、「『坊っちゃん』といえば松山だが、新潟とも縁が深いことを知ってもらいたい」と話しています。

 新潟県人説を唱えた勝山さんについては、新潟日報でも何度か紹介しています。2006年の新聞記事ではこの説について、「説としては面白い」とする漱石研究者が、「学園騒動はあの時代、あちこちで起こっていた。小説のモデルというのは、いろんな人間像を融合させてつくるものだと思うが」と指摘しています。

 本当は誰がモデルかー。答えを知るのは漱石のみですが、痛快な「おれ」が「おとなしい気質」といわれる新潟県人だったかも、と思って「坊っちゃん」を再読すると、違う景色が見えてくるかもしれません。