88歳で死去のアラン・ドロンさん 広島にも来ていた(1983年11月1日朝刊の記事から)

AI要約

フランスの映画俳優アラン・ドロンが広島を訪れ、平和記念公園や原爆資料館を訪問し、被爆当時の写真や遺品を見て驚愕していた。

広島への初訪問で、ヒロシマという言葉に特別な思いを抱き、世界平和を祈っていた。

アラン・ドロンは広島を訪れた後、東京へ向かう。

88歳で死去のアラン・ドロンさん 広島にも来ていた(1983年11月1日朝刊の記事から)

<1983年11月1日朝刊> ドロン、慰霊碑に祈る 資料館では「声も出ない」

 東洋工業(現マツダ)の招きで昨日広島入りし、同社宇品工場を見学したフランスの映画俳優アラン・ドロン(47)が1日午前、広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。

 広島へ来たからには平和公園を訪れたい、と本人が希望した。同公園を訪れた修学旅行生らにもみくちゃにされながら原爆慰霊碑に花輪をささげた後、同社商品企画部の中邑慎副部長の説明を受けながら原爆資料館を見学。被爆した当時の写真や遺品を一つ一つ丹念に見て回ったアラン・ドロンは「ただただ驚くばかりで声も出ない」と繰り返していた。

 広島を訪れたのは初めて。「ヒロシマという言葉には西洋人にとって他の都市とは違った思いがある。人類というすばらしい才能の持ち主が悲劇を繰り返すことのないよう、心から祈っている」と感想を話していた。同日午後、広島の2日間の日程を終えて東京へ向かう。