大河ドラマ「光る君へ」紫式部が着想を得た場所や父が出家した寺へ 大津市のゆかりの地を巡る

AI要約

大河ドラマ「光る君へ」の舞台となった石山寺や三井寺、大津市歴史博物館を訪れる旅の様子を描いた記事。

石山寺や三井寺の歴史や紫式部との関わり、観光名所の魅力について紹介。

石山寺、三井寺、大津市歴史博物館の特徴や見どころ、入館料などの情報をまとめて紹介。

大河ドラマ「光る君へ」紫式部が着想を得た場所や父が出家した寺へ 大津市のゆかりの地を巡る

 今年のNHK大河ドラマは「光る君へ」。平安京を舞台に、吉高由里子さん演じる紫式部の視線を通じて、平安貴族の人間模様を描いている。平安京が舞台となっているだけに、京都市内にも市外にもドラマゆかりの地は多く存在する。まずは京都ではなく、お隣の大津市にある紫式部ゆかりの地から歩いてみた。

 京都市内の自宅から、スマホの地図アプリで行き先を入力して出発。この日は一日、地図アプリをたよりに歩くことにした。まずは、JR京都駅から琵琶湖線に乗り膳所駅で降りる。目の前にある京阪電車石坂線の京阪膳所のホームに立つと、ほどなくして車両がやってきた。

 電車の乗り換えとして考えると、他の駅でもよさそうに思えたが、時刻表に合わせた最も乗り継ぎの良いルートがおすすめされているのだろう。そう考えると、便利に感じる。

 京阪膳所駅から電車に揺られること約13分。終点の石山寺駅に到着した。ここからは徒歩で石山寺へと向かう。

 石山寺は、なんといっても「源氏物語はじまりの地」として知られる。伝承によると、紫式部が一条天皇の中宮(皇后)・彰子の女房だった頃。彰子から「何か物語が読みたい」と頼まれた紫式部は石山寺に参詣した。7日間、寺にこもっていた折に琵琶湖の湖面を照らす月を見て、物語の着想を得たと伝わる。懸造(かけづくり)という様式の本堂(国宝)には、紫式部が執筆したという「源氏の間」があり、紫式部の人形も設置されている。ちなみに、懸造と聞いてピンとこない方は、清水寺の本堂(清水の舞台)をイメージされると良いかもしれない。

 石山寺は、大河ドラマ効果もありツアー客などで大にぎわいだった。筆者は石山寺と大河ドラマ館を訪れることができる1000円の券にしようと思っていたが、企画展「紫式部をめぐる人々」と本堂内陣も観覧できる「スーパー拝観券」(1600円)なるものがあったので、そちらをチョイスした。

 境内を散策しておいた折、職員の女性に「ここ数年と比べて訪れる人はどれくらい増えましたか」と尋ねたところ、「そんな、もう、ホント比べものになりませんよ!」と破顔されてしまった。

 平安貴族がこぞって向かった「石山詣で」。石山寺の本尊・如意輪観音への信仰があつかったことが発端で、人気となった。朝に平安京京を出れば、夕方には石山寺に着いたという。打出浜から舟に乗ったり風光明媚(めいび)な風景を楽しんだりと、貴族たちには魅力的な「小旅行」だったようだ。

 現代に生きるわれわれも、京阪石坂線にガタゴトと揺られ、マイナスイオンたっぷりの境内を散策するのはとても楽しいひとときになるに違いない。

 石山寺から駅に戻る。次に目指すのは同じく石坂線沿いにある三井寺(園城寺)だ。三井寺は天台寺門宗の総本山。元は比叡山と同じく天台の教えを深めていたが、教えのとらえ方の相違から寺門派(三井寺)と山門派(延暦寺)に分かれることとなった。いずれにせよ、強大な権威と広大な寺域を誇った大寺院だ。

 三井寺駅を降りると、目の前に水路がある。琵琶湖疏水だ。琵琶湖疏水は東京遷都でジリ貧となった京都を活性化すべく、第3代京都府知事の北垣国道が計画、1885(明治18)年に着工した。上水道や発電、物資の輸送などに用いられた。

 疎水沿いを歩くと、三井寺の総門にたどりつく。三井寺の参拝料は600円、と思っていたら、こちらも本堂内に設置されている百体観音と文化財収蔵庫を見学できる券が1000円で販売されていた。受付の女性によると「1000円の券にした方はもう、大喜び!大満足でした言うて帰っていかはります。これはもう絶対、おすすめ。百点満点よ!」そこまで言われたら有無を言わさず1000円の券に決定だ。

 長い石段を登り観音堂に着く。観音堂は、先日、文化審議会が重要文化財に指定するよう国に答申をしたばかり。目の前に琵琶湖と大津の町並みが広がる。眺望が疲れた体を癒やしてくれた。文化財収蔵庫へと向かう前に、紫式部と三井寺との関わりをおさらいしておこう。

 実は、紫式部と三井寺のゆかりは深い。紫式部のおじにあたる康延(こうえん)と異母兄弟の定暹(じょうせん)が、三井寺の僧となっているからだ。また、父・為朝は彼女の死後に三井寺に出家し、余生を過ごしたという。また。光源氏のモデルの一人とされる藤原道長の崇敬も受けた。

 文化収蔵庫に入ると、開祖・円珍が唐に留学した際の渡航関係書(国宝)など、寺が保有する収蔵品の一部を見ることができる。円珍の眠る「唐院」や一切経蔵(いずれも重要文化財)などを経て、「弁慶の引きずり鐘」(重要文化財)が設置されている霊鐘堂に至る。

 梵鐘(ぼんしょう)は、俵藤太が竜宮から持ち帰ったと伝わり、延暦寺との争いの際に、比叡山に引っ張り上げた鐘が「イノー、イノー(帰りたい)」と鳴くので、怒った弁慶が谷底に落としたという伝承がある。

 そこから少し下ると、大きな屋根が見えてくる。本堂にあたる金堂(国宝)だ。金堂内では、紫式部と三井寺の関わりを伝える展示もあった。金堂近くには近江八景のひとつ「三井晩鐘」(重文)もある。最後は仁王門を出て拝観を終えた。

 お分かりの通り、通常の参拝ルートとは逆の道順をたどることになったが、三井寺駅からではこちらのルートの方が巡りやすい。いずれにせよ、境内は見応え満点だった。

 三井寺を出て北に向かうと大津市歴史博物館に着く。今の時期は、石山寺や三井寺の参拝券があると入館料の割引があるので忘れず提示したい。こちらでも、紫式部と大津に関する企画展が行われている。

 紫式部は死後、物語(フィクション)を創作したことから「うそをついてはいけない」という戒律を破ったとされ、地獄に落ちたという考えが広まり、彼女を供養するために写経をする「源氏供養」という信仰が生まれた。そうした興味深い当時の日本人の思いも、展示から感じ取ることができる。

 歴史博物館を出て、今度は京阪石坂線の大津市役所前駅から浜大津まで戻り、京津線で京都に戻った。基本的には京阪で行ったり来たりできるので、移動は楽だ。また石坂線では現在「光る君へ」のラッピング列車も運行されている、見るべきスポットが数多くアリ、なんとも味わい深い一日となった。

 石山寺、三井寺、大津市歴史博物館の参拝・開館時間や料金などの詳細はそれぞれのホームページへ。