祇園祭 1155年悠久の歴史 宵山の華・駒形提灯の灯り…「前祭」「後祭」分離10年、気づいた風情

AI要約

京都の夏の風物詩・祇園祭の後祭の様子。宵山には駒形提灯の灯りに魅了される人々が多く集まり、祇園囃子が鳴り響く。

山鉾巡行が分離され、後祭では11基の山鉾が都大路を練り歩く。特に返り咲きの大船鉾が注目され、150年ぶりに巡行に復帰し、10年の節目を迎える。

祇園祭の魅力に惹かれた海外からの旅行者もおり、その祭りの奥深さに驚く姿も。日本の祭りが持つ独特の世界を堪能する。

祇園祭 1155年悠久の歴史 宵山の華・駒形提灯の灯り…「前祭」「後祭」分離10年、気づいた風情

 1155年目を迎えた京都の夏の風物詩・祇園祭。

 24日の後祭(あとまつり)を前に宵山には多くの人々が駒形提灯の灯りに魅了された。

 京都の中心部、烏丸通(からすまどおり)近辺では、23日夜までこの灯りのもと、祇園囃子が「コンチキチン」と鳴り響いた。

 祇園祭のハイライト・山鉾巡行は2014(平成26)年、17日の前祭(さきまつり)と分離して、今年(2014年)、10年の節目を迎えた。

 八坂神社(京都市東山区)から神輿で神を担ぎ出し、鴨川を渡り、御旅所(おたびしょ、同下京区)に迎え、1週間後に八坂神社にお送りするのが祇園祭。

 神を迎えるのが前祭、送るのが後祭で、山鉾巡行は“浄め”の行事とされている。

 京都の町衆は、千年以上続いたこの形を踏襲していたが、戦後に交通規制の風潮が強まり、1966(昭和41)年に一本化された。

 しかし、明石・朝霧歩道橋での雑踏事故(2001年)や、32基もある山鉾巡行で、最後尾は3時間以上待っての出発となり、酷暑の中、安全性の確保が困難とされたことも分離を後押しした。

 以来10年。関係者の多くは「夜店がなく、ゆったりとした雰囲気が後祭の宵山の良さ。前祭と比べてこじんまりしているが、風情があっていい」と話す。

 後祭の山鉾巡行は11基が都大路を練り歩く。このうち、しんがり(最後尾)の大船鉾(おおふねほこ)は今年、「たま」と呼ばれる車輪4本を新調した。直径2.13メートル、重さは685キロと、すべての山鉾の中で最大規模。

外周にはカシ材、中心部にはケヤキ材を用いて、今年は色は塗らずに白木のままで巡行する。

 この大船鉾は、分離した際に150年ぶりに巡行に復帰、節目の10年を迎えた。

 ひとりの男性が、大船鉾のスケッチをうちわにしたためている。河田マサヒロさん(36)。4歳からニューヨーク近郊で暮らした河田さん、はじめは海外生活になじめず、自宅にこもって絵を描くことに夢中になった。そうして笑顔を取り戻し、10歳で帰国。本格的に日本画を学び、京都の伝統行事を描いている。

 「祇園祭の山や鉾はすべて魅力的だが、大船鉾は迫力が違う。特に龍頭の力強さは格別」と話す河田さんは、引きこもりなど、社会的不安のある若者たちのアートを通して、自立をサポートしている。

 この龍頭を制作した彫刻師の森哲荘(てっそう)さんは今年3月、他界した。河田さんは絵画でその遺志を引き継ぐ。

 「これは、一夜だけのお祭りですか?」スペイン・マドリードから京都を旅する夫婦は、日本の“縁日”か“夜市”と思っていたようだ。しかし、祇園祭は1か月続く神事。宵山はその一部に過ぎないことを知らされ驚いた。

「灯りが美しいので、引き寄せられた。単なるライトアップではなく、絵画の世界だ。日本の祭がそんなに奥深いとは」と話した。

 24日の山鉾巡行は午前9時半に京都市の中心部・烏丸御池(同市中京区)を出発し、子どもたちや祇園の芸舞妓らが練り歩く華やかな花傘巡行もある。