倉田真由美「幸せな生き方とはなにかを夫が教えてくれた」 がんと向き合った日々、別れを語る

AI要約

漫画家の倉田真由美さんが夫のがんと死別した後も毎日泣いている様子を語る。

夫の闘病や倉田さんと夫の幸せな結婚生活について振り返る。

夫の人柄や子育てへの姿勢、夫婦のやり取りなどを通じて倉田さんの悲しさと幸せが表現されている。

倉田真由美「幸せな生き方とはなにかを夫が教えてくれた」 がんと向き合った日々、別れを語る

 漫画家の倉田真由美さんの夫・叶井俊太郎さんががんで亡くなって3カ月。今も毎日泣いているという倉田さんが、夫の闘病や夫のいない日々を語った。AERA 2024年5月27日号より。

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――今年2月16日、倉田真由美さんの夫、叶井俊太郎さんがすい臓がんで亡くなった。享年56。

 叶井さんは映画宣伝プロデューサーとして、「いかレスラー」や「日本以外全部沈没」などを手掛けてきた。倉田さんとは2009年に結婚。22年6月にステージ3のすい臓がんと診断され、余命半年から1年と宣告された。抗がん剤などの標準治療はしないと決断し、それからも変わらず仕事を続けた。最期は自宅で息を引き取った。

 今でも毎日泣いてしまうんです。自分でもここまで悲しみが引っ張られるのかと意外で。夫が余命宣告されてから、何度も夫が亡くなったらどうなるんだろうと想像してきました。けれど、現実ってやっぱり想像を超えてくるんですよね。

 常々、もし自分の内臓や寿命を誰かにあげるとしたら、私は自分の子どもにしかあげられないなあと思っていたんです。でも、実際に夫が弱ってくると、自分の寿命を半分、この人にやってもいいなと思いました。この気持ちは、夫がもうすぐ亡くなるということが現実にならないと分かりませんでした。

 今、どの失恋ソングを聞いても、夫とのことを歌っているように聞こえてしまうし、思い出の曲でもないのに、買い物中、スーパーのBGMを聞いて、ふいにガーンと悲しみが襲ってくる。夫しか食べないホットケーキの粉とか、彼が毎朝飲んでいたコーヒーの粉とか、まだたくさんストックがあって。彼が暮らしていた形跡があちこちに残っています。

■彼の考え方が大好き

――二人が結婚したとき、叶井さんはバツ3で、600人斬りが話題になった。さらに叶井さんが立ち上げた会社が倒産、自己破産もし、究極の「だめんず」とも言われたが、周囲の心配をよそに、倉田さんの結婚生活は幸せだった。

 彼の物の考え方とか、感受性が大好きでした。たとえば娘が勉強せずにテストを受けてダメだったとき、私は「もうちょっと勉強した方がいいんじゃない?」と言ったんです。でも夫は「あんたは勉強が楽しかったかもしれないけど、この子は違う。娘はあんたとは違う人間だし、人間は楽しいことしかやらないんだから、怒らないでやってくれよ」と。確かに人間は好きなことしかやれない、夫の言う方が正しいと思いました。

■ママ友も私より多い

 どんなときでも私より娘。迷わず娘を取る人でよかった。特に娘が小さい頃は、夫は自分の余暇は全部子どものために使っていました。関東近県の子どもの遊び場にはほぼ行ったんじゃないかな。私も一緒に行くんですが、食堂で原稿を書くことも。でも、夫は子どもについてまわって、そばを離れませんでした。保護者会にも全部出席してましたし、ママ友も私より多い。「緑のおばさん」の当番も必ず夫は参加して、道に立つんです。「子どもに挨拶するのもなかなかおもしろいよ」なんて言ってましたけど、面倒をいとわない人でしたね。叶井家にはママが二人いる、なんて言われたんですが、ママが二人いるって最高に強いですよ。こういう夫と子育てできて、すごい幸せでした。

 バカなところもたくさんありましたよ。だって、余命宣告されてから、何回も死んだふりをされましたからね。末期がん患者が死んだふりって、ちょっと洒落にならないでしょ? いつも座っている座椅子で、「うっ、苦しい……」と言って、バタッと倒れるんです。それで私がびっくりして、「父ちゃん? 父ちゃん?」って駆け寄ると、しばらくしてから「うそ~ん」って。なんて不謹慎な冗談をする人なんだろうと思いながら、毎回泣き笑いしてました。