『虎に翼』が支持される理由は、「強さ」だけじゃない。人の様々な姿を丸ごと許容する肯定感
連続ドラマ『虎に翼』に共感する人が増えており、物語が現代でも通用することを示唆している。
一方で、ドラマで政治やフェミニズムを語ることに対する否定的な声もあるが、なぜそのような考え方があるのか疑問が残る。
福田和子さんのようなアクティビストも『虎に翼』から鼓舞を受け、現代のジェンダー平等に関する重要性を考える。
![『虎に翼』が支持される理由は、「強さ」だけじゃない。人の様々な姿を丸ごと許容する肯定感](/img/article/20240519/6649c187c7cb0.jpg)
「寅ちゃんはがんばったのに100年経っても変わらないことが山のようにある」
「私と同じ、と思うことがあまりに多すぎる」
今SNSには連続ドラマ『虎に翼』の登場人物に思いを重ね、自分を語る人たちが増えている。物語は今から約90年も前のお話だが、女性の立ち位置に関して「今も変わらない」「自分たちの時代で終わりにしなくては」という声は少なくない。
しかし、その反面「ドラマで政治を語るな」「娯楽でフェミニズムを語るな」という声もあるが、なぜ、ドラマで政治や世相、フェミニズムを語ってはいけないのだろうか。そういった声が沸くことも、このドラマが支持される時代であることを象徴しているともいえるのだろう。
SRHRやジェンダー平等に関する啓発活動を続け、国際会議にも出席し活躍するアクティビストの福田和子さんも毎朝『虎に翼』を観て、涙したり、鼓舞されたりしているという。前編に引き続き、福田さんが感じる『虎に翼』の魅力とともに、今ジェンダー平等にとって大事なこととは何かについて後編では伝えていただく。
SRHRやジェンダー平等に関する啓発活動を続ける中、私自身、初対面の方によく言われのが、「アクティビストっていうから、もっと強い感じの方だと思ってました」という言葉だ。これを聞くと私はいつも複雑な気持ちになる。
実際の私は、確かに「強い感じ」の人間ではないと思う。物事を丸く丸く伝えようとしがちで、(性差別等について熱弁し始める時以外は)物腰も話し方も強いほうではない。10代の頃には、すぐに「ごめんなさい」「すみません」と言ってどんどん後退りしてしまう癖があり、注意を受けたこともあった。
でも、強くないわけでもない。心の中では思っていることはたくさんあって、私なりに社会で起きる様々な問題に向き合い、戦っていて、その強さを否定したくない。でも、もし私の物腰が「強い感じ」だったら、どうだったのだろう? 「この人は強いから」「特別」とされて、声は届かなくなるのだろうか。逆に「強い感じ」でなければ、声をあげられないのがデフォルトなのだろうか? どちらに関してもモヤモヤし、結局、なんと答えたらよいか分からなくて、いつも曖昧に笑ってしまう私がいる。
でも、国際会議でSRHRやジェンダー平等の実現を訴える自分
暴力を受けて地獄の底にいた自分
つらいことがあって酒場で酔ってふらつく自分
アンティーク着物が大好きな自分
そのどれもが、「私」なのだ。
どの私も否定されたくないし、どこかがフィーチャーされたからといって、他の部分を蔑まされたり、ないものにされるのは、いやだ。