「メルシー」「ボンジュール」しかわからない浅田次郎が、パリでのあまりに情けない体験で痛感した「意思疎通の難しさ」

AI要約

浅田次郎さんが描く庶民の目線から見た1990年代の激動の時代を描いたエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、今でも古びずに笑いや怒り、哀しみ、涙を呼び起こす。

パリを舞台にした取材旅行中に、主人公が小さな冒険を繰り広げる中で、自らの限界や状況に直面する様子が描かれる。

英語が通じず少々不安を感じつつも、パリでの朝食探しの旅は主人公にとって新たな経験となる。

「メルシー」「ボンジュール」しかわからない浅田次郎が、パリでのあまりに情けない体験で痛感した「意思疎通の難しさ」

バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。

この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第127回は、「意思の疎通について」。

ホテル・コンコルド・サン・ラザールを離れて、バスティーユのヴォージュ広場に面したパビヨン・ドゥ・ラ・レーヌというクラシック・ホテルに移った。

小ぢんまりとしたたたずまいではあるが、「王妃の館」という命名に恥じず、すこぶるセンスがよろしく、快適である。

このあたりはパリでも最も古い街並の残る地域で、とりわけヴォージュ広場を囲む建築群はルイ王朝の当時そのままに保存されている。

季節はマロニエの葉が舞い落ちる秋、凱旋門(がいせんもん)賞の興奮は去ったとはいえ、ぼんやりとホテルの窓から街並を見つめているのではあまりに芸がない。というわけで、朝の町に出て早起きのカフェを訪ね、エスプレッソとクロワッサンの朝食をとろうと思い立った。

取材旅行というものはけっこう不自由である。隣室には男性誌副編集長兼ボディガードのN氏が控えており、階下のフロント近くには担当編集者スペードの女王ことC女史が目を光らせている。しかもヴォージュ広場に陽が昇れば、現地コーディネーターとカメラマンがやってきて、パリの1日が始まるのである。

べつに行動を拘束(こうそく)されているわけではないが、ひとり歩きなどもってのほか、お出かけの節は必ずご一報を、と釘をさされている。

そこで、『ローマの休日』のヘップバーンではないけれど、ひとりでこっそり散歩でもしてみようと思ったのであった。

私の小さな冒険を、パリは祝福してくれるにちがいない。

ところで、自慢じゃないが高卒マイノリティの私は日本語が堪能である。その昔、学校の授業で英語とかいうものを聞きかじった覚えはあるが、ほとんど記憶にはない。ましてやフランス語は、「ボンジュール」と「メルシー」しか知らない。それでもまさか、カフェの朝食ぐらいにはありつけるであろうとタカをくくっていた。

ぶらぶらと町なかを歩きながら、少々不安になった。なぜかというと、こちらに来て気付いたことなのだが、パリは思いのほか英語が通じない。もしかしたら一般市民の英語理解度は日本より低いのではないかと思われるほどなのである。