前澤友作はなぜ、救急搬送されてもレースにのめり込むのか

AI要約

前澤友作がレースに挑戦する理由と、その過程について紹介されている。前澤氏がプロのレーシングドライバーの指導を受け、猛練習の末にレースで優勝を果たすまでの経緯が述べられている。

レースに挑戦する前澤友作の挑戦は、自らの限界に挑む姿勢や成長過程が示されており、彼の情熱と意欲が伝わってくる。

練習を重ねる中で少しずつ技術を磨き、目標に向かって前進する喜びを感じていた前澤友作の姿が描かれている。

前澤友作はなぜ、救急搬送されてもレースにのめり込むのか

「前澤友作がレース中の事故で緊急搬送された」。2024年6月9日のニュースに、驚かれた人も多いだろう。なぜ前澤氏は、危険を冒してまでレースにのめり込むのか。見つめる先に何があるのか――。

東京・東麻布のビルの一室。そこには、プロのレーシングドライバーが使う本格的なレーシングシミュレーターのコクピットに収まり、細密に再現された岡山国際サーキットでドライビングをする前澤友作氏の姿があった。ご存知のようにスーパーカーのコレクターとして知られる前澤氏であるけれど、これまでは運転にはさほど興味を示してこなかった。その前澤氏が、一心不乱にハンドルを操作している。

ヘッドセットを通じてアドバイスを送るのは、前澤氏が発足したスーパーカープロジェクトのマネージャーを務める横溝直輝氏。横溝氏は日本における最高峰のレースであるSUPERGTでチャンピオンに輝いた経歴を持つ、トップレベルのレーシングドライバーでもある。

2023年の秋に横溝氏から本格的な指導を受けるようになった前澤氏は、半年も経たないこの5月、富士スピードウェイで行われたフェラーリ・チャレンジ・ジャパンというレースのコッパ・シェル・アマクラスで優勝を飾る。半年前は「ハンドルが重い」と不満たらたらで、発進加速すらぎこちなかったが、レースに熱中し、結果を出したのだ。6月のレース中の事故も含めて、この半年間について話を聞いた。

本題に入る前に、前澤友作とレースの関係を簡単に振り返っておきたい。

2023年、自らのレーシングチーム、MAEZAWA RACINGを立ち上げた前澤氏は、総監督としてGTワールドチャレンジ・アジアに挑んだ。ハンドルを横溝氏が握り、最終戦で優勝を飾るなど、参戦1年目としては望外の好成績を残した。ただし、これで大団円ではなかった。今度は前澤氏がドライバーとして参戦することになったのだ。

なぜ自身でハンドルを握ってレースに出ようと思ったのかをたずねると、しばらく考えてから、ゆっくりと口を開いた。

「監督としてレースを見ていて、ドライバーもカッコいいな、という言葉が口をついたんです。それで、せっかくだからレースで優勝したクルマに乗ってみませんか、という話になった。フェラーリの488 GT3 EVOというクルマで、GT3というカテゴリーはアマチュアのジェントルマンドライバーが乗るクルマとしては頂点です。パワーがあるし、コーナリングスピードがとんでもない。

レーシングドライバーはこんなにパワフルなレーシングマシンを操って、こんなにすごいことをやっているのかを味わって、それがレースの世界に魅力を感じるきっかけでした。ハンドルを握ってみたら意外とうまく乗れたので、これなら自分でレースに出られるかもしれないと思うようになったんです」

そして2023年秋より、チームの挑戦が始まった。いきなりGT3はハードルが高すぎるので、ジェントルマンドライバーの登竜門であるフェラーリ・チャレンジ・ジャパンに目標を定めた。

ただし多忙な前澤氏にとって、実際にサーキットへ赴き練習走行をする時間を捻出することは難しい。ドライビングラボ「simdrive」が運営するレーシングシミュレーターや、カートで練習を積んだ。実際に富士スピードウェイを走ったのは、5月のデビュー戦が4回目だったというから驚かされる。

この練習期間、前澤氏はドライビングを学びながら、どのような達成感を感じていたのだろうか。

「例えば自転車の補助輪が取れるみたいな、劇的な変化はないんですよ。でも僕と横溝の間では、本当に少しずつなんですけれど、練習ごとに何かを摑んでいる感覚はありました。毎回、課題を持って練習をして、いつも何らかの発見があって、技術を手に入れているという実感が得られた。レースに出るという目標があったことと、少しずつでも前進しているという手応えがあったことが、続けられた理由かもしれません」