朝敵とされてきた会津藩や庄内藩。近年では擁護の論調も強くなっているが、はたして…歴史研究家・河合敦が解説!

AI要約

薩長史観の見直しについての新説を紹介。

明治維新150年を機に、薩長史観に疑問が投げかけられている。

吉田松陰や長州の活動について、新たな視点が提示されている。

朝敵とされてきた会津藩や庄内藩。近年では擁護の論調も強くなっているが、はたして…歴史研究家・河合敦が解説!

NHK大河ドラマシリーズや映画などで「日本史ブーム」がまだまだ続いています。しかし、歴史研究家の河合敦先生いわく「じつは教科書が改訂されるごとに、多くの歴史用語や人物が消滅したり、評価が逆転したりしている」そうで――。そこで今回は、河合先生が日本史の新説をまとめた著書『逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』から「薩長史観」についてご紹介します。

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◆薩長のおかげで江戸幕府が倒れ、日本は近代化できた

2018年は明治維新から150年だとして、講演会で維新の話をリクエストされることが非常に多かった。

でも、正確にいうと、この1868年という年が明治維新というわけではない。

維新というのは、幕府の崩壊から新政府の成立にいたる激動の時代、すなわち時間の帯(時期)である。

諸説あるが、ペリーの来航(1853年)から廃藩置県(1871年)、あるいは西南戦争(1877年)ぐらいまでを指すことが多い。

ただ、1868年が明治元年であり、新政府が五箇条の誓文(新政府の方針)を出し、戊辰戦争で日本(北海道を除く)を統一し、その拠点を江戸(東京)に移したことから、象徴的な年であることは確かだろう。

◆薩長史観の見直しが進んだきっかけ

そんな記念すべき明治維新150年だが、このところ、薩長史観の見直しが進んでいる。というより、否定されていると言ったほうが正確かもしれない。

そのきっかけとなったのが、原田伊織氏の著書『明治維新という過ち』(毎日ワンズ)である。2012年に出版されたが、増補版として2015年に出版されたころから話題となって大ヒットし、さらに2017年には講談社文庫に入った。

その副題が「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」という衝撃的な文言だったことも読まれる原因だったのだろう。

確かに吉田松陰は、安政の大獄が始まると、大老井伊直弼(なおすけ)の手先となって京都で尊攘派を弾圧する老中間部詮勝(まなべあきかつ)の襲撃を叫び、さらに弟子たちに先駆けになって死ぬことを求めた。

実際、久坂玄瑞(くさかげんずい)や高杉晋作など弟子の多くが、過激な攘夷運動を繰り返した。

ただ、歴史を見ればわかるとおり、政権を倒そうとする革命家は、強大な権力に真っ向から立ち向かうことは不可能ゆえ、権力者に対する暗殺やテロという手段をとることは少なくないし、それ以外、弱者が強者に勝つことは難しい。

やはり私は吉田松陰は偉大な教育家であり、あそこまで弟子たちが過激になったればこそ、幕府は瓦解に至ったのだと思っている。