【佐渡世界遺産登録】会津との歴史に光を(8月26日)

AI要約

新潟県の「佐渡島[さど]の金山」がユネスコの世界文化遺産に登録され、佐渡と会津地方の歴史的な関係が再注目されている。

上杉景勝や徳川幕府など、会津と佐渡の結びつきについて詳細が説明されており、歴史的な背景が紹介されている。

会津若松市と佐渡市は観光振興に取り組んでおり、教育旅行や観光推進協議会などを通じて交流を深めている。

 新潟県の「佐渡島[さど]の金山」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。佐渡と会津地方は古くから歴史的な結び付きがある。今回の登録を契機に、両者の関係に改めて光を当て、相乗効果で歴史観光をもり立ててほしい。

 戦国大名として知られる上杉景勝は、関ケ原の戦い前後の1598(慶長3)年から1601年にかけて会津120万石を領有し、会津若松を中心に本県中通り、庄内(山形県)、佐渡などを治めた。上杉氏の米沢移封後の1603年に徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、以来、江戸幕府の財政を支えることになる。

 往時に佐渡と江戸を結び、人と物が行き交っていた「会津通り」、「三国街道」、「北国街道」は佐渡三道、佐渡路と呼ばれる。1996(平成8)年に「佐渡路―会津街道・束松峠・滝沢峠越」(会津坂下町、会津若松市)が文化庁の「歴史の道百選」に選定され、2019年には「鳥井峠・車峠・束松峠」(西会津町)が追加指定された。佐渡をはじめ新潟で行われていた塩づくりには「塩木」と呼ばれる会津の薪が使われ、出来上がった塩は会津で保存食づくりなどに欠かせなかった。こうした歴史的な背景を佐渡と会津で互いに共有し合えば、歴史観光を盛り上げる有効な手だてになるのではないか。

 佐渡路が縁となって、会津若松市の川南小と佐渡市の行谷小は2000年から教育旅行による相互交流を続けている。会津と佐渡とのつながりを後世に伝えていくには若い世代の学びが欠かせない。今後は川南小に限らず、より多くの児童、生徒が教育旅行などで佐渡を訪ね、地元の人々との交流などを通して学びを深める取り組みを進めるべきだ。

 会津若松市と佐渡市は2020(令和2)年に観光振興に関する連携協定を締結し、2022年には「会津・佐渡広域観光推進協議会」を設立した。若年層や冬季の観光客が少ないのが両市共通の課題だ。世界文化遺産登録に加え、来年に迫る大阪・関西万博は課題解決に向けた追い風と言える。歴史が育んだ双方の魅力ある資源を生かし、インバウンド(訪日客)を含めた誘客増につなげたい。(紺野正人)