映画「箱男」主演・永瀬正敏さんインタビュー スマホにとらわれた現代「誰もが『箱男』になる可能性」

AI要約

小説『箱男』が映画化され、永瀬正敏さんが主演を務めることで27年前の幻の企画が実現した特別な作品である。

原作が約50年前に書かれたにも関わらず、現代社会の監視やテクノロジーとの関連性が強く、安部公房の予言的な側面を感じる。

映画の脚本は27年前のものより原作に忠実でリアリティーを持ち、現代性が取り入れられた要素も存在する。

映画「箱男」主演・永瀬正敏さんインタビュー スマホにとらわれた現代「誰もが『箱男』になる可能性」

作家・安部公房が1973年に発表し、世界20数カ国で翻訳された小説『箱男』(新潮文庫刊)が映画化され、8月23日から公開されます。段ボールの中から世界をのぞく「箱男」に心を奪われ、自らも段ボールをかぶって箱男として生きるカメラマンの「わたし」を演じた永瀬正敏さんにお話を聞きました。

 段ボールを頭からすっぽりとかぶり、都市を徘徊し、のぞき窓から一方的に世界をのぞき、ひたすら妄想をノートに記述する「箱男」。カメラマンである「わたし」(永瀬正敏)は、街で偶然目にした箱男に心を奪われ、自らも段ボールをかぶり、その一歩を踏み出すことに。そんな「わたし」の前に、箱男の存在を乗っ取ろうとするニセ医者(浅野忠信)や、箱男を完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市)、「わたし」を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈)らが現れる。

――この作品は27年前の1997年に永瀬さん主演で映画の制作が決定したものの、クランクイン直前に撮影が頓挫してしまった「幻の企画」でした。

 あまりにも歴史が深いので、ちょっと他にはない作品だと思います。27年後に同じ原作を同じ監督、同じ俳優が作ることはそうそうないと思うし、今後も出てこないと思う。頓挫していた27年の間も、ただ「今回資金が集まりました、じゃあ作りましょう」ということだけではない、さまざまなストーリーがあったので、特別感がありすぎる作品になりました。

――原作は約50年前に書かれていますが、どんな印象を持ちましたか。

 最初に出会ったのは27年前だったので、今ほど年齢を重ねておらず、どこまで作品を根本までしっかり理解できていたかは分からないですが、とにかく衝撃でした。視点がどんどん変わっていく文体なので「これは今、誰の言葉で読んでいるんだろう」と最初に読んだ時は少し混乱しながら読んでいました。

――時を経て改めて読んでみて、感じ方や受け取り方に変化はありましたか。

 原作が書かれた50年前は想像もできなかったような世界が現実に近くなっているので、時代が追いついたんだなと思いました。これは箱にとらわれた男の物語ですが、今は大体の人がスマホにとらわれていますよね。たったひとつの段ボールをかぶるということだけで「見る・見られる」「監視する・される」ということを表している原作、それは現代の状況にとても類似している。安部公房さんという方は予言者なんじゃないかなと思いました。

 もしかしたら安部さんはそこまで狙っていたんじゃないかと思うぐらい「今」だったんだなと思います。もちろん、27年前にもやってみたい物語と世界観ではありましたが、いろいろなものを経験し、さまざまなテクノロジーができた現代だからこそ「箱男とはなんぞや」ということを分かってもらえる確率が上がっているんじゃないかなと思います。

―― 以前、石井(岳龍)監督は、安部さんとお会いした際「映画にするなら娯楽にしてほしい」という要望を受けたそうですね。27年前と今回の脚本では何か違いはありましたか?

 27年前の方がより娯楽性の強い印象を持つ脚本だったと思います。さっき言ったように、時代が原作に追いついてきているので、葉子さんのキャラクターなど多少デフォルメされた部分はありますが、今回の方がより原作に近く、よりリアリティーを持って観ていただけると思います。

 当時は連絡手段もFAXとかでしたが、今ではスマホやパソコンも1人1台の世の中になった。匿名性に対する関心や実感も今の時代の方が近くなっているので、そこは27年という時間が必要だったのかもしれないです。

――ニセ医者と葉子がいる部屋を外からのぞこうとするときに「わたし」が自撮り棒のようなものを使ったり、葉子がキックボードに乗ったりと、現代らしさも取り入れられていました。

 原作では、自動車のバックミラーや自転車を使っていましたが、おそらく石井監督があえて現代性みたいなものを入れて、スクリーンの中と外、原作が書かれた時代と現代というコネクションを作られたのだと思います。