映画『箱男』が27年の時を経てついに公開…主演・永瀬正敏が語る原作者・安部公房の「眼力」とは

AI要約

安部公房原作・石井岳龍監督『箱男』が27年の時を経てようやく完成し、全国順次公開される。

主演の永瀬正敏が匿名性や孤独をテーマに演じ、原作の安部公房の預言的な描写が現代に響く。

作品はSNSや匿名コミュニケーションを予見する安部公房のメッセージが27年前よりもリアルになっていることを示唆している。

映画『箱男』が27年の時を経てついに公開…主演・永瀬正敏が語る原作者・安部公房の「眼力」とは

安部公房原作・石井岳龍監督『箱男』が本日から全国順次公開される。本作はもともと日独合作映画として製作が決まっていたが、1997年、ドイツ・ハンブルクでのクランクイン前日に突如撮影が中止になった経緯がある。

そして、27年の時を経てようやく完成、安部公房生誕100周年の今年2月にベルリン国際映画祭「ベルリナーレ・スペシャル部門」に正式出品された。主演の永瀬正敏さんに作品のテーマである「匿名性」や箱の中から外界を眺めて感じたことなどについて聞いた――。(撮影/西崎進也)

【あらすじ】

「箱男」――それは人間が望む最終形態、すべてから完全に解き放たれた存在。ダンボールを頭からすっぽりと被った姿で都市をさまよい、覗き窓から一方的に世界を覗いて妄想をノートに記述する。カメラマンである“わたし”(永瀬正敏)は街で偶然目にした箱男に心を奪われ、自らもダンボールを被りのぞき窓を開け、その一歩を踏み出すことに。完全な孤立、完全な孤独を得て、社会の螺旋から外れた“わたし”は果たして「本物」の箱男になれるのか――。

――本作は1997年に一度撮影が中止になっています。当時も主演予定だったとのことですが、その時の脚本と本作の脚本の違いの差について教えてください。

永瀬:石井監督が安部公房さんに直接映画化を託された時、1つだけ安部さんから言われたのが「娯楽作にして欲しい」ということだったそうです。なので、前回の脚本の方がより石井監督流のエンターテイメント性の強いものでした。

――「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる痛みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。しかし誰もが見るだけの人間になるわけにはいかない。見られた者が見返せば、こんどは見ていた者が、見られる側に回ってしまうのだ」という原作の言葉は、当時はテレビカメラやワイドショーを指していたと思うのですが、現在ではX等のSNSでのやり取りを連想させます。

永瀬:まさにおっしゃる通りですね。原作者の安部さんはある意味、預言者だと思います。『箱男』は「匿名性」がテーマになっていますが、今は1人1台スマートフォンという箱を持ち、XなどのSNSで、匿名で意見を投稿できる時代です。

原作にも映画にも登場しますが、安部さんの描いた「匿名性のコミュニケーション」が27年前よりリアルになっています。便利な部分もありますが怖い部分もある。その両方があることを予知なさっている感じがしました。50年前に…凄いですよね。

――27年前と今では原作を読んだ時の捉え方は違うのでしょうか。

永瀬:当時の石井監督の脚本は原作のある部分を大きく膨らませた構成で、僕はテーマ云々というより「これを映像化したらどうなるのか」という興味の方が勝っていました。実際に僕の肉体を通して演じたらどうなるのかと。

時を経て、原作の理解度は上がっているのかもしれません。今の自分の方が、当時より作品の本質を理解することに近付いているのかもしれないし、実際、近付いていたいと思います。