【浅野ゆう子連載】肩書きは、なんですか?|仕事と美容、そして人生。

AI要約

50年前、地元のパレードを見て歌手を目指し、13歳でデビュー。様々な挑戦の末、女優としての道を選び、本当の思いに気づく。

容姿や経験から肩書きを見つけられず悩むも、女優浅野ゆう子として生きる決意をする。自らの意志で進む道を選び、人生が動き出す。

美脚が商売の要となり、日々のお手入れで磨きをかける。人生の転機は美容とも密接につながっている。

【浅野ゆう子連載】肩書きは、なんですか?|仕事と美容、そして人生。

50年前、私は歌手としてキャリアをスタートしました。幼い頃、地元でミス・神戸の方がオープンカーでパレードしているのを見る度、母に「あなたもいつかあの車に乗るのよ」と囁かれ(笑)、そのうち、憧れていた歌手を目指すように。そして、ロッテ製菓のミス・ロッテの準ミスに選ばれた際にスカウトされ、単身上京。13歳で歌手デビューしました。容姿が大人びていたことから同じ年、人気ドラマ『太陽にほえろ!』に2代目事務員役で出演。ところが、「警察で中学生が働いているのはおかしい」とクレームが殺到。あえなく1クールで降板に(笑)。

ヒット曲にも恵まれましたが、特別歌唱力があったわけでもなく、徐々にレコードは売れなくなっていきました。お芝居に挑戦したり、水着でキャンペーンモデルを務めたりとキャリアを模索しましたが、どれもパッとしません。

「あなたの肩書きはなんですか?」。

20代半ばのある日、取材で記者の方に聞かれました。歌手なのか、モデルなのか、女優なのかわからない、と。辛辣だなと思いましたが、私も「これです!」と答えられなかった。自信をもって言える肩書きがなかった。名刺を作るとしたら肩書きは何にしたいか─ふと、そんな思いがよぎり、素直に浮かんだのが「女優浅野ゆう子」でした。その頃は2時間ドラマに年に2~3本出る程度で、お芝居に手応えがあったわけではないのですが、なぜかその瞬間、「女優として生きたい」と覚悟が決まったのです。事務所の方と話し合い、「芝居1本でやっていきます!」と伝えました。デビューから10年、いただいたどんなお仕事にも挑戦してきたからこそ、「女優として生きたい」という本当の思いに気づけたようです。それまでは周りが敷いたレールをまっすぐに進んでいた私が、仕事の方向性を自ら決めたのは初めてのことでした。

人生の選択肢が多いからこその悩みもある時代。迷うときは何かひとつ、決めてみるのもいいのかもしれません。強い意志をもつと、そこから人生が動きだします。私も芝居で生きていくと決めた後、紆余曲折を経て代表作といえる作と出合い、今があります。

私は12歳で既に身長が165cmあり、中学でのあだ名は「電信柱」。デビュー直後は「脚の長さ99cm」ともいわれましたが、そんなにありません(笑)。でもおかげで、脚は私の商売道具に。

とはいえ、日々のお手入れは乾燥しないようにクリームを念入りにつけ、足首を回したり、ふくらはぎをマッサージする程度なんです。ちょっとのことをこつこつ続けてきただけですが、美脚だと褒めていただけるのは、逆に必死で運動をしてこなかったことも影響しているかも(笑)。以前、舞台で30kg程ある衣装で動き回る公演を数か月続けた後、いつもマッサージをお願いしている方に「筋肉がついて脚の形が変わった」と言われショックを受け(笑)、以来、激しい運動は避け、軽いウォーキングを続けています。

振り返ると、人生の転機は美容とも密接につながっている気がします。そんなお話もこれから皆さんと共有できたらうれしいです。

「女優で生きる」と自分で決めたら、ぶれなくなりました