賀茂川の水・青龍神水・琵琶湖疎水…古都・京都の歴史に刻まれた苦悩と祈り 西日本の水

AI要約

賀茂川(鴨川)の洪水問題から始まり、八坂神社の青龍神水伝説、そして琵琶湖疏水の歴史を紹介。

青龍神水は京都の八坂神社で使用され、都を浄化する神聖な水として祭りで活躍。

明治期に完成した琵琶湖疏水は現在も京都市民の生活を支え、レトロな建造物や観光スポットとして人気。

賀茂川の水・青龍神水・琵琶湖疎水…古都・京都の歴史に刻まれた苦悩と祈り 西日本の水

京都からは水にまつわる3つのエピソードを紹介する。憩いのスポットとして知られる賀茂川(鴨川)はかつて洪水を繰り返し、京の人々の悩みの種だった。そして祇園祭で知られる八坂神社(京都市東山区)の神水を巡る伝説。明治期、東京遷都で沈み切った古都を復活させた琵琶湖疏水は、今も活躍を続ける。

■青龍神水 都を浄化

八坂神社の疫病退散の祭礼、祇園祭。神輿(みこし)渡御や山鉾(やまほこ)巡行などさまざまな神事・行事で用いられるのが「青龍神水」だ。京都には多くの名水があるが、青龍神水は飲むためではなく、祈りのための水といえる。

神社本殿地下には龍穴(りゅうけつ)と呼ばれる大きな池がある。深さは「50丈(約150メートル)にをよびて なお底なし」との記録が残る。池は漆喰(しっくい)の蓋で固められているが水脈は生きており、水をくみ上げることができる。

水脈は祇園祭発祥の地である神泉苑(京都市中京区)につながり、龍神が行き来すると伝わる。

令和4年、神仏習合の儀式を執り行って、八坂神社の神水と神泉苑の聖水、閼伽(あか)水が交換された。両者を混ぜて生まれたのが青龍神水だ。疫病を鎮めるために行われていたころの祭りに戻そうと、八坂神社の野村明義宮司が発案し始まった。

青龍神水は、山鉾巡行の際の清め水や神輿渡御の担ぎ手の給水などに使われる。野村宮司は「青龍神水をもって都を浄化したい」と話す。(田中幸美)

■レトロな琵琶湖疏水 現役で古都支え

京都に水を運び、市民生活を支える琵琶湖疏水。明治期に完成した人口運河だが、当時のトンネルや橋は今も残り、歴史ある風景が観光客を楽しませている。

明治維新による東京遷都に伴い、人口減少や産業衰退などの課題が突きつけられた京都に活力を呼び戻すため建設された。明治23(1890)年の完成後は水力発電にも利用され、観光都市の経済や産業発展に貢献してきた。

今も水道用水などに使われる「現役」。南禅寺境内にある「水路閣」や傾斜鉄道の下を通行できるトンネルの「ねじりまんぽ」など、明治期に作られたレトロな建造物が残す風景は、ウオーキングルートや写真スポットとしても人気を集めている。