「どうせ死ぬんだから」重度の糖尿病のため58歳で死を覚悟した医師の"最期に後悔しない生き方"
医師の和田秀樹さんが、死ぬことを意識することで人生を充実させる考え方を紹介。
がんとの直面を経て、好きなことをやり尽くす決意をし、死を覚悟して生きる姿勢を示す。
「カルペ・ディエム」という考え方から、今日を大切に生きることの重要性を説く。
後悔せずに、納得して最期を迎えるためには何をすればいいか。医師の和田秀樹さんは「いつ死ぬかわからないと思えば、生きているいまを楽しまないと損だ。貯金が思いの外たまっていたら、一度は運転したかったポルシェを買おうとか、元気なうちに夫婦で世界一周旅行に行けばいい。『どうせ死ぬんだから』と思えば、好きなことができる。逆に、死にたくないと思えば思うほど、人生の充実度、幸福度が下がってしまう」という――。
※本稿は、和田秀樹『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■ああ、もう死ぬのか…
あれは、2019年の正月のことです。のどが異常に乾いて10分おきに水を飲まないといられなくなり、夜中に何度もトイレに立つ日が続いて、ひと月で体重が5キロも減ってしまいました。
バイト先の病院の院長先生が心配して採血をしてくれたのですが、血糖値が660㎎/dlもありました。重症の糖尿病です。
私はたまにしか血液検査を受けないのですが、そんなに血糖値が高かったことはありません。体重も激減していることから、膵臓がんの可能性が高いと言われて、あれやこれや検査を受けることになりました。
もうインスリンの分泌がかなり低下して、糖尿病が悪化しているような膵臓がんなら、末期と言ってもいい……。「ああ、私はもう死ぬのか、これまでか」と思いました。
このとき、私はまだ58歳。以前から血圧が高いとか慢性の心不全になりかねないなどと言われていましたから、長生きはできないだろうなと多少は思っていましたが、それでもやっぱり自分にとって「死」は遠いものでした。
はっきりと自分の死を覚悟したのは、そのときが初めてです。
■どうせ死ぬんだから。好きなことをやり尽くそう
当時、「がん放置療法」で知られる近藤誠先生と本をつくるために何回か対談をしていたこともあり、がんが見つかっても、治療は受けないことに決めました。
手術や抗がん剤、化学療法を受けたりしたら、体力がひどく落ちて、やりたいことができなくなる。
その頃、抱えていた仕事もたくさんあったし、まだまだ書きたい本もありました。
膵臓がんといっても最初の1年くらいはそれほどの症状は出ないだろうから、とりあえず治療は何もしないで、好きな仕事を思いっきりしよう、金を借りるだけ借りてでも撮りたい映画を撮ろう、というふうに思ったわけです。
30代の頃から、人間はいずれ死ぬのだから生きているうちに楽しんでおかなきゃ損だとは思っていましたが、リアルに自分の死というものに直面して、残りの人生をどう生きようかと真剣に考えました。
そして、延命のためにがんと闘うのではなく、がんは放置して、残された時間を充実させようという選択をした。
「どうせ死ぬんだから、自分の好きなことをやり尽くそう」と開き直ることができたのです。
結果的に、いくつか受けた検査で、がんは見つかりませんでした。見つけられなかっただけなのかもしれませんが。
ただ、そのとき考えたことは、62歳のいまも私の人生観のなかに息づいています。
■今日という日の花を摘もう
その話を近藤先生にしたら、ヨーロッパの格言通りの考え方だとおっしゃいました。
古代ローマ時代から伝わる「メメント・モリ」は、死を意識しろという言葉だけれど、その対句として「カルペ・ディエム」というのがある。
それは「今日という日の花を摘め」という意味で、要するに「死は必ず来るから、それはしかたないものと覚悟して、いまという時を大切に、楽しく生きなさい」と言っているのだ、と。
まさに、私の思うところです。
どうせ死ぬんだから、と投げやりになるのではなく、人間の命には限りがあるのだから、自分の好きなように残りの人生を生きたい。死を見極めると、本当にやりたいことが明確に見えてきます。同時に、どうでもいいこともわかってくる。
だから、時間を無駄にすることもないのです。