ドジャース・フリーマン、涙の復帰会見…三男マックス君、重篤状態から回復「もう一度抱くことができたんだ」Tシャツには「MAX STRONG」

AI要約

フリーマンが息子の病気でチームを離れ、悪夢から希望への道のりを語る

息子の病気を看病しながら、野球よりも息子の健康を最優先に考える姿勢

息子の容体が改善し、フリーマンは希望をつかんで野球場に戻る

ドジャース・フリーマン、涙の復帰会見…三男マックス君、重篤状態から回復「もう一度抱くことができたんだ」Tシャツには「MAX STRONG」

 三男・マックス君の病気で緊急離脱していたドジャースの主砲フレディー・フリーマンが5日、フィリーズ戦でチームに合流し、約30分にわたって会見。悪夢のような瞬間から回復に至るまで克明に語り、何度も声を詰まらせて、涙が止まらなかった。

 胸に記された「#MAX STRONG」の文字を見て、フリーマンは何度も嗚咽(おえつ)しタオルで涙を拭った。愛息のマックス君がが難病の「ギラン・バレー症候群」を発症。フリーマンは25日に遠征先のヒューストンに向かったが、容体が悪化して急きょ、カリフォルニアに戻っていた。マックス君は一時、集中治療室に入り、全身まひを起こし、人工呼吸器をつけた。

 「一番つらかったのは3歳の息子が呼吸に助けを必要としているのを見ることだった。自分や妻のチェルシーが代わってあげたいと何度も思った」

 フリーマンは10歳の時に母親を皮膚がんで亡くした。「僕は人生で多くの経験をしたけど…。母が亡くなったことも、今回のことも、こんなつらいこと…。比較はできない」と話した。マックス君を看病しているときは野球のことを考える時間はなかった。

 「ドジャースファンは嫌だろうけど、あんな光景をもう一度見るくらいなら、ワールドシリーズ第7戦の9回裏満塁の場面で3億回連続で三振したほうがいい」。

 マックス君は治療や薬の効果があって容体が改善し、自宅に戻った。22日に足を引きずっているのに気づいて病院に行ってから10日間ほど。フリーマンは悪夢から希望に変わった「あの瞬間」を思い出して言葉を詰まらせた。「水曜日の午後10時46分だった。忘れもしない。彼は人工呼吸器を外し、自分の膝の上に座った。もう一度息子を抱くことができたんだ」。こんな言葉も口にした。

 「あの子が生まれて、マキシマスという名前をつけたとき、どんなに強い子になるんだろうと思ったけど、3歳でそれを証明されるとは思ってなかったよ」。マックス君は完治に向けて順調に歩を進めているという。そして、フリーマンは野球場に戻った。