ポップカルチャーについてじっくり考えたくなる3冊。

AI要約

マーク・フィッシャーのブログ「K-PUNK」から選ばれた音楽と政治に関する文章が収録された本。特にドレイク論「すべてを持っている男」は、ケンドリック・ラマーとの関係を考える上で興味深い。

戦後日本のアングラマガジンやサディズム&マゾヒズムに焦点を当てた雑誌「奇譚クラブ」とそれに関連する戦後風俗雑誌の特集が行われた。その中で、戦後の欲望や社会について考察されている。

若手の哲学者がドゥルーズの『シネマ』を取り上げた『眼がスクリーンになるとき』が紹介されている。非美学やドゥルーズの芸術観を通じて、芸術に興味のある人やクリエイティブな仕事を目指す人に刺激を与える内容となっている。

ポップカルチャーについてじっくり考えたくなる3冊。

「K-PUNK」と言っても、韓国パンクのことじゃない。20世紀初頭のイギリスを舞台に、カルチャーを通して現代社会について批評し続けた故マーク・フィッシャーのブログ名だ。本書にはその中から選び抜かれた、音楽と政治にまつわる文章を収録。とりわけドレイク論「すべてを持っている男」は、ケンドリック・ラマーとのビーフを経た今読むと味わい深い。¥3,630/Pヴァイン

「その表紙に触れるだけでも戦慄が走る一種危険な雑誌」と呼ばれた、戦後アングラマガジン界の金字塔「奇譚クラブ」。同誌を始めとする戦後風俗雑誌7誌を前号通覧した上で跡付けられるのは、戦後日本においてサディズム&マゾヒズムが、いかにして根を下ろし、いかなる欲望として捉えられていたか。『BURST』的サブカルが一部で再勃興しつつある今だからこそ手に取りたい。¥3,300/青弓社

『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』で、哲学者ドゥルーズの『シネマ』を”非”シネフィル的に読み抜いた若き俊英が、博士論文をベースにして弩級の一冊を書き上げた。またしても”非”を旗印に取り組まれるのは、ドゥルーズにおける芸術との特殊な向き合い方としての”非美学”。なかなかハードルは高いが、芸術を志す人はもちろん、「将来はクリエイティブな仕事に就きたいんですよね~」と呟いたことがある人にも、何かしら響くところがあるはず。¥2,970/河出書房新社

text: Keisuke Kagiwada