犬は「かけがえのない時間」を与えてくれる存在である 彼らのいない世界は白黒だった

AI要約

犬との暮らしで感じる時間のかけがえのなさや関係性の変化について語られている。

飼い主としての成長や愛犬への思い、別れを意識するようになる過程が描かれている。

愛犬との一瞬一瞬を大切にする姿勢や、未来への準備と覚悟について述べられている。

犬は「かけがえのない時間」を与えてくれる存在である 彼らのいない世界は白黒だった

 先代犬の富士丸、いまは保護犬の大吉と福助と暮らすライターの穴澤 賢さんが、犬との暮らしで悩んだ「しつけ」「いたずら」「コミュニケーション」など、実際の経験から学んできた“教訓”をお届けしていきます。

 たぶん初めて犬と暮らしている人は普段あまり意識していないと思うが、実は「かけがえのない時間」を過ごしている。この意味は、犬との別れを経験した人なら分かると思う。

 そういう私も、かつて富士丸と暮らしている頃は意識なんてしていなかった。特にまだ幼い頃は、散歩に行く度にリードをグイグイ引っ張るし、いつまでも遊べ遊べと催促してくるし、言う事は聞かないわ、突然家の中でおしっこはするわ、留守番中にあらゆるものを破壊はするわ、なんでコイツはやりたい放題なんだ、何がいけないんだと真剣に悩んだこともある。

 それが3歳を過ぎた頃から、次第に意思疎通がちゃんと出来るようになり、5歳になる頃にはお互い言葉がなくても考えていることがなんとなく分かるような関係になっていった。それくらいになると、歩くときにこちらの歩調に合わせたり、振り返って気遣ったりするようになっていた。

 しまいには、二日酔いで倒れていると「またかよ、何やってんだよもう」とあきれられたりすることもあったので、いつの間にか精神年齢では追い越されていたのだろう。

 その頃でもまだ、自分が今「かけがえのない時間」を過ごしているという認識はなかったと思う。ただ、この生活がずっと続くことはないことは頭では分かっていたから、富士丸が少しでも喜ぶようなことを出来るだけしようと考えるようになっていた。

 とはいっても、ひとりと一匹の暮らしだから、仕事で長く家を空けることもあったし、留守番させて飲みに行くこともあった。だから「いい飼い主」だったかといえば、そうでもなかったと思う。

 それでも次第に、外に飲みに行くのが家飲みに変わり、当時やっていた連載では取材という名目で(富士丸にとっては)たくさん遊びに行き、あちこち旅行もするようになった。

 健康診断も定期的に受けさせていたし、山へ行く度めちゃくちゃうれしそうにするので、山へ移住することを考えたりもして、実際に計画を立てて実行しようとしていた。富士丸のために八ヶ岳に土地を買い、家を建てようとしたのだ。

 もちろん山に移住したところで、富士丸とずっと暮らせると思っていたわけではない。それでも元気なうちに移住出来れば、さぞ喜ぶだろなと思っただけだ。それでいい。いつかいなくなったら、そのとき考えよう。それくらいの感覚だった。

 富士丸は同居人であり、一番の理解者であり、親友であり、息子のようでもあった。けれど息子ではない。なぜなら人間の息子ならいずれ親を追い抜くが、犬が人間を年齢で追い抜くことはないからだ。その限られた時間を一緒に過ごしているという覚悟はあった。