「グラッチェ」こそなかったが…ケーシー高峰さんは本物の名医のようだった【タクシードライバー哀愁の日々】

AI要約

タクシードライバーの職業に対する一般的な反応が他の職業と比べて違うことについて述べられている。

タクシードライバーとして働く理由や家族への影響について、実例を交えて説明されている。

芸能人を乗せた際の経験やその影響について、特別な出来事として描かれている。

「グラッチェ」こそなかったが…ケーシー高峰さんは本物の名医のようだった【タクシードライバー哀愁の日々】

【タクシードライバー哀愁の日々】#26

「お仕事は何ですか?」

 医者、弁護士、大学教授なら、待ってましたとばかりに誇らしげに自分の職業を明かす人がほとんどだろう。こうした職業の人は、尋ねた人から尊敬のまなざしを向けられることはあっても、バカにされるようなことはまずない。

 これがタクシードライバーということになれば、本当に悲しいことだが、まわりの反応は違ってくる。「重労働ですよね」「景気が悪くて大変でしょ」「変な客もいるでしょ」といったふうにねぎらいや同情の言葉をかけてくれるお客はいても、「すごいですね」「うらやましい」といった尊敬、羨望の言葉を発する人は皆無といっていい。それどころか、「前職は?」などと尋ねてくるお客もいる。勝手にドライバーを「訳アリ」と判断しているのだ。

 実際のところ、私の場合、家業の倒産という立派な「訳アリ」だし、ほとんどのタクシードライバーは似たような事情を抱えていて、「第1志望」でこの職についているわけではない。「心ならずも」あるいは「でもしか」なのだ。

 決して収入が多いわけではないし、一般的な社会的評価が高くないせいかもしれない。前にも述べたことだが、タクシードライバーの子どもが父親の勤め先を問われて「自動車会社」と答えたという話もある。家に帰っても、子どもが喜ぶような仕事の話ができるわけではないし、致し方ないかもしれないが、残念な話だ。

 ただ、ドライバーにとって特別なのは、芸能人を乗せたときだ。そのときばかりは、家に帰れば家族も話を聞きたがる。私も一度だけ芸能人を乗せた経験がある。

■医事漫談のパイオニアだったケーシー高峰さん

 20年ほど前のこと。2019年に亡くなったが、タレントのケーシー高峰さんを乗せた。若い方には馴染みがないかもしれないが、ケーシーさんといえば、白衣で医者に扮した医事漫談のパイオニアだ。60代以上の方なら「笑点」などで演じたエロいネタで笑ったことがあるはずだ。吉永小百合さん主演の「夢千代日記」でのシリアスな演技でも高い評価を得ている。

 そのケーシーさんがマネジャーらしき人と一緒に上野駅で乗ってきた。そして「世田谷の砧スタジオまで」とひと言。まだカーナビのないころのことだ。「申し訳ございません。そちら方面は不案内でして……」と私が言うと「運転手さん、大丈夫。案内するからそこの高速に乗って」と言う。途中、高速の分岐点などでも優しい口調で適切な指示をしてくれた。2人の会話に耳をそばだてていたわけではないが自然に耳に入ってくる。

「○○ちゃんはまじめでいい子だね。ああいう子が売れてくれればいいね」

 ケーシーさんはテレビでのフランクな口調とは打って変わり、紳士的な口調で話していた。実際、ケーシーさんは日大医学部に入学し、一度は医者を志した人だが、まるで本物の名医のような雰囲気さえ漂わせていた。ケーシーさんの言うその“いい子”とは当時、下品な言動で注目されていた女性タレントで、私は好きになれなかったが、この話を聞いて、なんだか好感を持てるようになったものだ。

「運転手さん、こんな遠くの知らない場所まで、すまないね。気を付けてお帰りなさい」

 目的地に到着すると、得意の決まり文句「グラッチェ」こそなかったが、ケーシーさんは優しい言葉をかけてくれた。こうした芸能人との出会いは、タクシードライバーにとっては数少ない「役得」かもしれない。

 ただ、悲しいかな、当時すでに離婚していた私には、家に帰ってもそんな話を聞いて喜んでくれる人はいなかった。一緒に暮らす老母を除いて……。

(内田正治/タクシードライバー)