料理人・笠原将弘 39歳で亡くなった妻の闘病生活と「3年間3人分作り続けた子どもの弁当」長男の感想に「お前、めんどくせぇな(笑)」

AI要約

2010年、笠原将弘の妻が子宮がんと診断され、全摘手術を受ける。一時は普通の生活が戻るが、再発し抗がん剤治療を始める。

笠原は妻の治療については「そのうちよくなるだろう」と楽観的で、普通の生活を送ることができた。

しかし、再発が発覚し入退院を繰り返す日々が続く中、笠原は妻の強さと家族との穏やかな時間を振り返る。

料理人・笠原将弘 39歳で亡くなった妻の闘病生活と「3年間3人分作り続けた子どもの弁当」長男の感想に「お前、めんどくせぇな(笑)」

日本料理店「賛否両論」の店主で料理人の笠原将弘さんは、今から12年前に妻を亡くしました。「いい時間だった」と振り返る、3人のお子さんのお弁当作りについて伺いました。(全2回中の1回)

■子どもには「そのうちよくなる」と

── 妻の江理香さんの病気が発覚したのはいつ頃でしたか。

笠原さん:2010年のある日、カミさんが突然、「変な出血があった」と言い出して。「いつもとなんか違うから病院に行ってくる」というのが最初。最近、調子が悪かったとかそういうこともなく、前日もその日もいつも通り。「そうだな。心配だから行ってこいよ」という感じで見送ったんです。

そこで検査をしたら子宮がんだとわかった。先生の説明を俺も一緒に聞きに行きましたけど、「早く見つかってよかったですね」という話ぶりで。手術の説明に関しても「ここの部分をとればいいです」ということだったんで、正直、そこまで重くは受け止めてはいなくて、いつか治るものという感覚だったよね。

── 治療はどのように進めたんですか。

笠原さん:その後、再検査をして、キャリアがある別の先生から「子宮をとってしまう方が安全策です」という話をされた。子どもも3人いたし、俺も両親をがんで亡くしているんで、「確実な方がいいよね」と。カミさんもそれを望んでいたので、子宮の全摘手術をすることに。無事に手術が終わって、退院してからは、今まで通りの生活が戻ってきた。その夏は、みんなでカミさんの故郷の沖縄に行って海で泳いで、好きだった酒も飲んで。本当に普通の生活が1年くらい続いたね。

── その後、再発が発覚したそうですね。

笠原さん:定期的に検査に行っていて、そこでがんの転移が見つかった。そこから抗がん剤の治療をすることになるんですが、カミさんは「治療で髪が抜けちゃうなら」と言って事前に髪も短くして、ウイッグも買いに行って。この時点でも俺は、ものすごく心配をしていたわけではなく、「治療でよくなればいいな」という感じだったと思う。入退院を繰り返すことがしばらく続いたものの、家にいる時は普通の生活を送れていたから、そう思ってたんでしょうね。