【本屋は生きている】神戸から沖縄を思い続ける専門書店「まめ書房」 見上げれば、限りなく緑に近いブルー

AI要約

本記事は、神戸市にある専門書店「まめ書房」を訪れた際の体験を通して、沖縄をテーマにした書籍について語られています。

記事では、神戸市内にあるリブロブックセンターの閉店に対する驚きや沖縄の書店事情について触れられています。

また、まめ書房の店主である金澤伸昭さんの経歴やこれまでの人生についても詳しく紹介されています。

【本屋は生きている】神戸から沖縄を思い続ける専門書店「まめ書房」 見上げれば、限りなく緑に近いブルー

 各地のこだわりの書店を訪ねる連載「本屋は生きている」。今回は神戸市の「まめ書房」を訪ねました。沖縄をテーマに新刊と古書を選りすぐった専門書店。天井一面が青く塗られた吹き抜けの店内は、島に来たような時間が流れています。

 「リブロリウボウブックセンター店が5月31日で閉店」

 4月に飛び込んできたニュースを見て、「えっ!」と声をあげてしまった。

 那覇市の百貨店リウボウにあるリブロブックセンターは、沖縄に行くたびに寄る場所のひとつだった。モノレールの駅に直結しているので時間潰しに最適だし、沖縄の古書店が集まる即売会「リブロ古書フェス」も興味深かった。なにより年に1回、本屋がない南大東島と北大東島で出張本屋を開催していて、その模様は拙著『離島の本屋』(ころから)でも紹介してきた。要するにお世話になりまくりの本屋だったのだ。今年8月からは南北の大東島を結ぶ定期航空路線も廃止されるというし、どうなってしまうのだろう。

 胸が焦げるような気持ちになり、猛烈に誰かと話がしたくなった。しかし5月末までに沖縄に行く時間的余裕はない。うーん……。あっ、沖縄の本や雑貨を専門に置く、まめ書房が神戸の岡本にある!

 那覇で古書店の方々と酒卓を囲んだ際、店主の金澤伸昭さん&由紀子さんともご一緒したっけ。金澤さんたちとならこの気持ち、分かち合うことができるのではないか。

 初めて降りた神戸市東灘区岡本は、私のイメージ通りの「ザ・神戸」という風情をたたえていた。石畳の両脇に瀟洒な建物が並んでいて、おいしそうなパン屋やショコラティエが点在している。阪急神戸線の岡本駅から歩いて2分程度のまめ書房も、木の色と質感を活かした窓枠とドアがなんともしゃれた雰囲気だ。久々に再会した金澤伸昭さんに、まずリブロの閉店について尋ねてみた。

 「SNSで知りましたが、驚きましたね。沖縄は県産本を発行する出版社が頑張っているのですが……」

 ここ3年ほどの間に沖縄県内では古書店のオープンが相次ぎ、金澤さんとしては「本屋の後輩が増えてきた!」と喜んでいたそうだ。一方でオープンして20年以上経つ、老舗の総合書店が姿を消す。とはいえそれは沖縄に限った話ではなく、他の地域でも起きている。そう語る金澤さんのこれまでについて、改めて知りたくなった。

 金澤さんは大阪市内で生まれ育ち、大学は京都精華大学の美術学部立体造形科に進学した。立体造形科はその名の通り彫刻のみならず、木材や樹脂などを使った3D造形が学べる。当時は詩人で京都のミュージックシーンの聖地・喫茶店「ほんやら洞」を手掛けた片桐ユズルが教鞭をとっていた。まさに美術と音楽が融合した、アートの一丁目一番地のような大学だった。そんななかで金澤さんは世に出始めのMacを駆使した、コンピュータとアートの融合に興味を持つようになった。

 「でも全然、技術が追い付かなくて(笑)。卒業したらプロダクトデザインをやりたいと思い、おもちゃや文具、家電メーカーの試験を受けていたら、三洋電機に採用されました」

 三洋の本社は当時、大阪府守口市にあったが、金澤さんが配属されたのは鳥取にある事業部だった。ここで金澤さんは、「上には上がいる」ことを実感したそうだ。

 「彫刻を作っていた時に寸法をキッチリ測っていたら、周りから『細かい』と言われていたんです。いざ家電メーカーに来たら、ミリ以下の単位にこだわって図面を引く世界で。自分の上司からの評価は低いものでした」

 しかしこの頃から、CADが普及しつつあった。PCで企画書やスケッチを起こす金澤さんが、重宝がられるようになった。時代を先取りしてきたことが、功を奏したのだ。

 「でも鳥取の生活が退屈で仕方なくて。ずっと帰りたいと言っていたら、淡路島へのフェリーを運行する関連会社で、ブランドデザインをしてみないかと声をかけられて。1993年に兵庫県に引っ越しました」

 ロゴデザインや看板、カレンダーなどの販促グッズのデザインを担当する、多忙な日々を送った。しかし2年後、阪神淡路大震災に見舞われる。西宮市に住んでいた金澤さんも被災した。

 「会社も被害が酷かったうえに、3年後には明石海峡大橋が開通することもわかっていて。震災後にフェリーが運航されなかったこともあり、本社のグラフィックデザイン部に異動が決まりました」