紫式部による清少納言の評価は「薄っぺらい女」と辛口だった!?『紫式部日記』から見える<道長との関係>と<嫉妬深さ>

AI要約

紫式部は『源氏物語』の著者であり、光源氏のモデルとされる人物である。彼女は藤原道長の娘である中宮彰子の教育係であった。

光源氏のモデル候補には他にも源高明、源融、在原業平などが挙げられるが、藤原道長が最も有力なモデルであるとされている。

『源氏物語』の英訳者は紫式部と藤原道長の関係について疑問を呈し、南北朝時代の系図集には紫式部が道長の愛人であったと記されているが、その正確性は不明である。

紫式部による清少納言の評価は「薄っぺらい女」と辛口だった!?『紫式部日記』から見える<道長との関係>と<嫉妬深さ>

NHK大河ドラマシリーズや映画など、様々な形で現代まで語り継がれてきた日本の歴史。しかし、日本博識研究会によると「中学や高校で学んだ日本の歴史の常識は大きく変わっている」そうで――。そこで今回は、日本博識研究会が日本史の「新常識」をまとめた著書『あなたの知らない日本史の大常識』から「紫式部」についてご紹介します。

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◆藤原道長が光源氏のモデル?

2024年の大河ドラマの主人公、紫式部。彼女は『源氏物語』の作者であり、光源氏(ひかるげんじ)を世に送り出した人物である。

彼女が教師を務め、仕えた相手は藤原道長(みちなが)の娘である中宮(藤原)彰子。この藤原道長が光源氏のモデルともいわれている。

大河ドラマでは、藤原道長と紫式部の恋心が描かれるが、実際には実ることがなかった(まだ大河ドラマが終わっておらず、そちらでの恋の結末はわからないが……)。

◆光源氏のモデル候補

ただし、光源氏のモデル候補は他にも多くいる。

醍醐(だいご)天皇によって臣下に下った源氏の源高明(たかあきら)、同じく降下した嵯峨(さが)天皇の皇子、源融(とおる)。

彼は六条の河原院の広大な邸宅に住んでおり、モデル候補の最有力である。

さらに、『伊勢物語』の主人公、在原業平(ありわらのなりひら)。姫との密通現場の状況や都落ちの情景は非常に似ている。

ほかにも菅原道真(すがわらのみちざね)などもモデルの一人だと言われている。

しかし、その中でも絶大な力があったのが道長である。

道長の歌としては、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」が残る。

「この世はすべて自分のものではないだろうか、満月が欠けてないように、何でも自分の思い通りになる」という意味の歌だが、途方もない力があったのだろう。

◆わざわざ書かれた「道長を袖に振った話」の真相とは

その道長と紫式部はかなり近い関係であった。

式部は道長の娘の中宮の教育係。恋愛ドラマなら、家庭教師を務める女性と、生徒の父親のただならぬ関係に描かれそうだ。

ただし、『紫式部日記』には、道長が口説いてきたが、直(ただ)ちに断ったという記述がある。紫式部は道長を袖に振ったというわけだ。

しかし、これも式部がわざわざこのように記述するのはおかしい、と『源氏物語』の英訳を手掛けたアーサー・ウェーリーは書いている。

さらに、南北朝時代に成立した系図集『尊卑分脈』には、式部は道長の愛人(召人<めしうど>)であったと書かれている。

その記述は以下の通りで

「紫式部是也 源氏物語作者 右衛門佐藤原宣孝室 御堂関白道長妾云々」

とある。意訳すれば、「源氏物語の作者である紫式部は藤原宣孝(のぶたか)の正室であり、関白の藤原道長の妾であると言われる」となる。

ただし、これも平安時代から500年近くたったころの人名帳だから、どこまで正しいかわからない。

道長は次々と近親者を愛人にして高官に任命し、自らの権力基盤を固めた。彼の政治手法からすれば、紫式部が愛人であっても全く不思議ではないのだが……。