フロッピーディスクは今なお現役--発展の歴史と現在の用途

AI要約

フロッピーディスクの歴史と普及についての要約。

フロッピーディスクの革新的な容量と利便性。

フロッピーディスクがソフトウェア市場やデータ共有に与えた影響。

フロッピーディスクは今なお現役--発展の歴史と現在の用途

 筆者は1970年代半にフロッピーディスクを使い始めたときのことを覚えていない。ファームウェアをIBMの「S/370」メインフレームにインストールしたときか、図書館の専用ワークステーションで米議会図書館の目録記録を作成したときだっただろうか。何とも刺激的な生活を送っていたものだ。いずれにせよ、当時使っていたのは確か8インチの片面フロッピーディスクで、データの記憶容量は驚異の79.7KBだった。

 これは本当に、当時としてはただ事ではなかった。ポータブルストレージの他の選択肢が、IBMの12行/80列のパンチカードや9トラックのテープだった時代だ。これらは一言で言えば、扱いにくかった。

 フロッピーディスクは、筆者がコンピューターを使い始める前から存在していた。1960年代後半、IBMのエンジニアだったAlan Shugart氏とDavid L. Noble氏は、データを格納するコンパクトでポータブルな解決策に思いをめぐらせていた。この「Project Minnow」という先駆的な取り組みから、1971年に初の市販8インチフロッピーディスクが生まれた。その79Kという容量は無に等しいと思えるかもしれないが、保存できた容量はパンチカード3000枚に相当する。

 使うのをやめるなら、1枚のディスクと数千枚のカードのどちらがいいだろうか。当時の誰もが思っていたことは、読者の皆さんの答えと同じはずだ。

 1970年代にパーソナルコンピューターが人気になると、フロッピーディスクはメインフレームとワークステーションの世界からPCへと移っていった。そこで、手頃な価格で入手やすいストレージソリューションという地位を確立していく。

 その後の1976年に、Steve Wozniak氏という人物が自身の次のコンピューターにフロッピードライブを追加しようとしていた。友人のSteve Jobs氏は、5.25インチのフロッピーディスクをShugart氏の新会社Shugart Associatesから1976年に入手し、大量の改良作業を経て、Wozniak氏は後に「Apple II」となるマシンで初のフロッピードライブを稼動させた。

 こうした新型ディスクの当初の容量は、90~110KBだった。その後のアップグレードで、まずは160KBに、続いて360KBに増量された。一般的にはこれがフロッピーディスクのデフォルトの容量と考えられている。1984年には、容量1.2MBのディスクが「IBM PC/AT」とともに登場。それらのディスクと6MHzの超高速コンピューターは大きな人気を博した。

 そこからフロッピーディスクは軌道に乗った。プログラムをこれらのポータブルディスクで配布可能になり、ソフトウェア企業は郵送や小売店で製品を販売できるようになった。最初のソフトウェア市場はフロッピーディスクから生まれたということだ。

 その影響は大手企業だけにとどまらない。フロッピーディスクによって誰もがプログラムを作成して販売できるようになったことで、フリーウェアとシェアウェアの動きが活発になった。また、ユーザー間での簡単なデータ共有も初めて可能になった。モデムや電子掲示板(BBS)を使って、プログラム、画像、データが共有されるようになるずっと前に、それらの情報が「スニーカーウェア」で共有されていた。これはまさに、ディスクを手で持ち運び、情報をあるコンピューターから別のコンピューターへ移すというものだ。

 1981年には、ソニーが3.5インチのフロッピーディスクを発売した。この製品は、従来のものと比較してサイズが小さく、ストレージ容量が大きいため、すぐに人気を博した。安定性も以前のモデルより大幅に向上していた。それまでの製品は、摩耗によってすぐに故障することが多かった。

 もはや「フロッピー」(ペラペラ)ではなかったが、このフォーマットがフロッピーディスクの標準になった。その人気は優に1990年代まで続き、フロッピーディスクは普遍的な記憶媒体としての地位を確立。この設計の当初の容量は720KBだったが、最も人気のバージョンは1.44MBだった。