間寛平、今くるよさん死去に「ずっと嫁が泣いてましたわ」 生前は家族ぐるみの付き合い

AI要約

吉本新喜劇GMの間寛平がくるよさんを悼みながら、昔の思い出を振り返りました。くるよさんとの仲の良さや優しさが印象的で、多くの人に愛されていたことが明らかになりました。

くるよさんは27日に亡くなり、周囲の人々に深い悲しみをもたらしました。同僚や友人たちが、彼女の人柄や行動について温かいエピソードを語りました。

寛平や他の共演者は、くるよさんが遺した思い出や彼女の人間性について心温まるエピソードを語り合い、彼女の偉大な遺産を称えました。

間寛平、今くるよさん死去に「ずっと嫁が泣いてましたわ」 生前は家族ぐるみの付き合い

 吉本新喜劇GMの間寛平が29日、MBSラジオ『松井愛のすこ~し愛して』(月~金曜午前10時)にゲスト出演。27日に膵がんのため、大阪市内の病院で死去した今くるよ(本名・酒井スエ子)さんを悼んだ。くるよさんは、2015年に死去した相方・今いくよさんとのコンビで、女性漫才師の第一人者として長らく活躍。ふくよかな体系に派手な衣装を着用し、お腹をポンとたたくしぐさや、「どやさ」という言葉で人気を集めた。

 寛平は「僕、20歳で吉本は入ったんですよ。そのときに、いくよ・くるよちゃんはついてたからね。島田洋之介・今喜多代師匠のお弟子さんに。だから(島田)紳助(さん)の先輩やんか」と出会いを振り返った。「(いくよ・くるよさんは)ソフトボールの選手やったやん。吉本入ってソフトボールのチームを作ってたんですよ。そのときに僕の嫁も入れてもろうて一緒にやっててん。ほんで打ち上げをくるよちゃんとかが、(大阪・北)新地の知り合いの店かなんかでやってるときに、僕が『そろそろやな』と思って迎えに行ってたんよ。嫁を」と家族を交えた仲だったといい、「すっごい僕もかわいがってもろたんよ」と明かした。「昨日の夜からずっと嫁が泣いてましたわ」と夫人のショックが大きいといい、「残念ですよねえ」と声を落とした。

「仲良かったです」という寛平は、昭和ならではの懐かしい思い出も披露した。「僕入った時に京都、梅田、なんばと劇場があって、10日、10日、10日で回るやんか。正月なんかは僕とか若い子はほとんど京都に行かされる。だから、みんな飲んでるやん。いっつも裸になってたもん。僕らどんだけ見たか。いくよちゃんはまだ恥ずかしがるけど、くるよちゃんはホントに」と楽しそうに打ち明けた。

 周囲に優しいことでも有名だったくるよさん。シャンプーハット・てつじは「くるよ師匠にあだ名つけてもらってメッチャうれしかったですもん。“イランちゃん”って」と明かすと、相方の恋さんが「オレはアラン・ドロンや」と続いた。パーソナリティーの同局・松井愛アナウンサーは「私も“MBSの綾瀬はるか”っていつも会うたんびに言ってくださって。ホント適当なんですけど」と明かすと笑いが起こり、寛平は「僕はないですよ」とした。恋さんは「最近の若い子をほめてくれるというね」というくるよさん流の気遣いとし、松井アナも「(懐に)優しく入りやすくするというか」と同調。てつじも「どこがやねん! っていうね」と乗っかった。

 恋さんはいくよ・くるよさんについて「いつも楽屋行っても、2人ピタって並んでずっと仲良うして、すごい近くにおられましたもんね」と仲の良さが印象深いとした。てつじは、くるよさんにラジオの本番に呼ばれた際、本番中にもかかわらず「食べよし」と勧められたと笑った。

 くるよさんは、相方・いくよさんの命日である5月28日と1日違いの27日に旅立った。寛平は「最近、ホントにすっごい周りの近い人が亡くなっていくから。つい最近でいうたらキダ・タロー先生。もう僕、吉本でも上の方やから」と寂しそうに話した。アースマラソンを完走した”鉄人”だけに、75歳で元気に見えるが、20日ほど前にはランニング中にひざを痛め、病院で検査したところ「全部ヒビ入っててん」と告白。痛みを「押しピン(画鋲)3本踏んで、突き刺さったまま歩いてる」と説明し、共演者を引かせていた。