映画『ラストマイル』巨大物流倉庫のシステムは現代の「パノプティコン」なのか?

AI要約

映画『ラストマイル』は、野木亜紀子が脚本を務めた社会派エンターテインメント作品で、資本主義がもたらす合理化の弊害を描いている。

フーコーの理論を紹介し、近代社会における権力の変容や合理主義の問題点について考察する。

合理性や生産性に翻弄される中で、自由と倫理を守りながら生きる重要性を改めて考えさせられる作品。

映画『ラストマイル』巨大物流倉庫のシステムは現代の「パノプティコン」なのか?

映画『ラストマイル』が8月23日に公開され、興行ランキングでも上位に入るなど注目を集めている。ドラマ『アンナチュラル』や『MIU404』など、緻密な人間ドラマと社会への鋭い洞察力で高い評価を得ている野木亜紀子が脚本を務めた、大手ショッピングサイトの巨大物流倉庫を舞台として、現代社会の闇に迫る社会派エンターテインメント作品。

2018年に放送された『アンナチュラル』の第1話では、新型ウイルスによって引き起こされた社会的な混乱が描かれており、まさにこのあと現実として起きる「新型コロナ感染症(パンデミック)」を予言したかのようなストーリーに、多くの方が衝撃を受けたことでしょう。

映画『ラストマイル』においても、資本主義がもたらす「合理化の弊害」が、テーマの一つであったように感じます。今回は『ラストマイル』をより深く楽しむため、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの理論を紹介します。

◇近代社会における権力の変容

ミシェル・フーコー(1926-1984)は、20世紀後半のフランスで活躍した哲学者になり、構造主義やポスト構造主義の思想に影響を与えました。社会学や哲学を学ぶうえでは、避けては通れない重要な人物です。権力構造や社会システムに対する鋭い洞察は、現代社会の問題を理解するうえで貴重な視点を提供してくれます。

歴史を振り返ると、権力を持つ政治家が抱える大きな課題は、民衆の不満を押さえつつ反乱(革命)を防ぐことでした。

かつて、権力による犯罪者(権力に抵抗する者)への罰は、身体的な苦痛を伴う直接的でわかりやすいものでした。群衆が集まるなかでの公開処刑やムチ打ちの刑など「反抗すれば、お前を同じようになるぞ」という恐怖心によって、権力へ反抗する意欲を失わせるのが目的です。

しかし近代に入ると、権力は目に見えにくい形で人々の行動をコントロールし、より間接的かつ巧妙なものへと変化しました。

フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、この新しい権力の形を「規律・訓練型権力」と呼び、私たちは自らを監視し、自発的に規律を遵守すると説明しています。

フーコーが注目したのは、18世紀のイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが設計した監獄「パノプティコン」です。

中央に監視塔があり、周囲を囚人の独房が取り囲む構造は、監視者からは囚人全員が見える一方、囚人は監視者を直接見ることができません。囚人たちは、常に「監視されているかもしれない」と感じ、自然と規則を守るようになります。

これが「規律の内面化」です。

フーコーによれば、この「規律の内面化」は監獄だけでなく、学校・企業・病院など、社会のあらゆる場所に広がっています。人々は常に監視され、規律を遵守させられ、効率性や生産性を高めるために、自分自身のコントロールを強いられます。

こうして近代では社会全体が合理化され、人々はシステムの一部として組み込まれ、自らを監視し、規律を守るようになります。

映画『ラストマイル』の舞台も、まさに「合理化」を象徴するような場所です。大手ショッピングサイト「デイリー・ファスト」の運営を支える巨大物流倉庫は、すべての商品がバーコードによって管理され、700人以上の“派遣”従業員もコンピューターによって管理(監視)され、常に効率的な労働を要求されます。

映画では、その合理性によって人間が次第に振り回されていく様子が描かれています。

◇合理主義によって「人間らしさ」を失う可能性

フーコーによると、社会のなかで合理主義の支配が進むと、人間は逆に合理性の枠(檻)に閉じ込められてしまい、本来の「人間らしさ」を失う可能性があります。

多くの企業で導入されている結果のみを重視する成果主義は、従業員に過度なプレッシャーを与え、燃え尽き症候群やメンタルヘルスの問題を引き起こすこともあり、まさに今回の映画でも重要なテーマの一つになっています。

フーコーの理論は、こうした合理主義の弊害を強調し、私たちが自らを管理し合理化を進めることで、むしろ人間の自由な感情や倫理が制限される点を問題視しています。

岡田将生さん演じる梨本孔が、デイリー・ファスト社の掲げる利益中心主義の価値観を、いつの間にか内面化し、無意識に他人を傷つける行動を取っていたことに気づくシーンがあります。

日本の近代教育は、まさにパノプティコン・システム(規律・訓練型)であり、教員(権力)によって管理され、規律の遵守を徹底させる傾向が強くあります。この教育システムは効率的かもしれませんが、結果として権力(企業)にとって都合の良い個人ばかりが作り出され、多くの社会問題が引き起こされているのが現状ではないでしょうか。

映画では、さまざまな立場にいる登場人物が、企業と倫理のあいだで葛藤する場面が多く描かれています。

権力は私たちを監視し合理性に従うよう強制しますが、逆に私たちの自由や倫理を失わせるリスクも存在します。フーコーの理論は、現代社会における合理主義の限界、そして資本主義を考え直すきっかけを提供してくれているとも言えるでしょう。

映画『ラストマイル』は、私たちが無意識に内面化している、当たり前だと思っている価値観を浮かび上がらせ、そして相対化させてくれる作品でした。

効率性や生産性、合理性といった価値観に翻弄されることなく、私たちは自由と倫理を守りながら生きていくことができるのか。私たちが真に大切にすべきものは何か、改めて考えてみるべきではないでしょうか。