大鶴義丹「相変わらずバカ息子だと思うんだけど」父・唐十郎から受け継いだ「ギフト」

AI要約

大鶴義丹は、父であるアングラ演劇の元祖・唐十郎と母であるドラマ女王・李麗仙のもとに生まれ、映像業界で活躍する一方、舞台も重要視している。

90年代は舞台が影を潜め、映像が主流だったため、大鶴は舞台よりも映像に力を入れることとなったが、後に舞台の重要性を再認識するに至った。

近年は、劇団「新宿梁山泊」で父の戯曲に挑戦し、舞台を主戦場として活躍している大鶴義丹。父の現役離れをきっかけに、舞台での挑戦を始めた。

大鶴義丹「相変わらずバカ息子だと思うんだけど」父・唐十郎から受け継いだ「ギフト」

 1990年代、ドラマ『逢いたい時にあなたはいない・・・』『悪魔のKISS』などで活躍し、名を広めた大鶴義丹。小説家や映画監督としての顔も持ち、現在は、主戦場を舞台に置く大鶴さんは、紅テントを象徴とする「状況劇場」で知られ、今年の5月に逝去したアングラ演劇の元祖・唐十郎を父に、アングラの女王と呼ばれ、ドラマ『3年B組金八先生』でも知られた李麗仙を母に持つ。そんな大鶴さんの語るTHE CHANGEとはーー。【第4回/全5回】

 天才と称された父・唐十郎さん率いる劇団「状況劇場」は、自宅を稽古場としていた。そんな大鶴さんにとって、幼い頃から演劇は身近なものだった。やがて自らも同じ演劇界へと進んだが、唐さんの演出を受けたことはない。

「子どものころ、家と稽古場が一緒で、大人たちのやっている作業が面白そうに見えて、“早く仲間に入りたい”という気持ちはありました。でも先に映像の世界に入っちゃって。特に舞台と映像を分けて考えていたわけじゃないけれど、でもとにかくテレビが強い時代だったんです。30歳手前くらいのときに、オヤジの劇団と一緒にやるかやらないかという話もあったんですが、そのときはたぶん“今は、オレは映像でやるぜ”みたいな気持ちがあった」

――ご自身のなかで、どこかに大きすぎる唐さんの存在もあったのでしょうか。

「そうですね。それと、ちゃんと見えてなかったのもあると思います。あのときは、舞台がそんなに力を持っていなかったんですよ。SNSが普及している今のほうが、いろんな演劇が支持される土俵があると感じます」

――SNSが盛んな今のほうが。

「歌舞伎から2.5次元から、みんな個々に好きなものを選んで盛り上がってますよね。それって、SNSとすごく相性が良かったんじゃないかなと思います。だから僕が映像に軸を置いていた90年代というのは、舞台役者にとっては不遇の時代だったんじゃないかな」

――たしかにテレビドラマに勢いがありました。

「あまりにも映像が華やかで忙しくて、舞台を3か月かけてやるというのはリスクだと感じた。当時はね。でも間違った判断だったなと今は思っています。20代のうちに、舞台での体力もつけておくべきだったのかなと。ただそれも“たられば”だから」

――2000年台以降、特にここ10年ほどは舞台を主戦場にされていますが、2014年、劇団「新宿梁山泊」で唐さんの戯曲に初挑戦しました。秋にも再演が控える『ジャガーの眼』の主演です。唐さんの戯曲に挑戦するようになった理由は。

「オヤジが現役を離れたのが大きいですね。そういうタイミングで、『新宿梁山泊』の金守珍に“義丹とオレで挑戦してみないか”と声をかけてもらったんです。それまではオヤジの世界にバカ息子が入っていくのも、おこがましいというか小恥ずかしいというか、いろんな気持ちがあったんですけど、タイミングかなと感じました。金代表とは一緒にやるようになって10年超すんですけど、彼が声をかけてくれなかったらいかなかったなとすごく感謝してます」