43歳で出産。あやまん監督「私の芸は子供に悪影響」と悩む日々…救ったのは夫の一言だった

AI要約

あやまんJAPANの監督が30代後半で結婚願望が芽生え、不妊治療を経て男児を出産した経緯について語る。

20代は遊びたい欲が満たされており、30代に入り結婚願望が芽生えた監督は、40代で不妊治療を開始する。

旦那さんとの出会い、子供がほしいという願望を伝えるまでの経緯を掘り下げる。

43歳で出産。あやまん監督「私の芸は子供に悪影響」と悩む日々…救ったのは夫の一言だった

 2010年頃「ぽいぽいぽぴー」というフレーズで一世を風靡した、あやまんJAPAN。表舞台から消えたかのように見えていましたが、現在もイベント会社として活動中。そしてチームのリーダーであるあやまん監督は、昨年2月に男児を出産しました。

 30代で突然芽生えた子供がほしい願望と、恋愛とは程遠かった私生活での苦しさ、40代で味わった妊活の苦労など、ひとりの女性としての葛藤を伺いました。

――結婚、出産をいつごろから考えるようになったのでしょうか?

あやまん監督(以下、監督):高校卒業後、群馬から上京し毎夜のように試合(※合コンのこと)をしていた20代は彼氏もいなかったし結婚願望もなかったんです。10代で付き合ってた彼氏と別れてからは10年間、彼氏がいませんでしたし。でもテレビに出ていた35歳くらいから、突然“いつか結婚して子供がほしい”という思いが芽生えたんですよね。

――なぜ、願望が芽生えたんでしょう?

監督:なんでしょう。遊びたいという欲が20代で完全に満たされたんでしょうね。30代に入ると地元の友達は結婚して出産してる人が多いですし、特に30代中盤でさくらだ(ファンタジスタさくらだ)が結婚と妊娠でメンバーを脱退した時は、喜んで送り出す気持ちがある反面、言いようのない焦りと煮詰まり感がありました。でも会社設立したりと仕事は頑張らなきゃいけないしで毎日しんどかったですね。

街を歩けばお子さん連れの家族とかカップルを見かけて、「それに比べて私は…」と落ち込んでいました。気持ちは沈みながらも、毎日やらなきゃいけないことを必死にこなしていく日々でした。

――そんな中で、今の旦那さんと出会ったのですね。

監督:39歳の時、仕事で知り合いました。これまで私が六本木界隈で戦ってきた魑魅魍魎のようなパリピ男ではなく、テレビの制作関係のお仕事をしている会社員で。彼とは交際1年ほどで同棲生活が始まったんです。

――付き合っていくなか、監督の「子供がほしい」という願望も話したのでしょうか。

監督::いえ、実は旦那さんは12歳年下なんです。そんな年上女性から「子供がほしい」と言われたら怖いだろうし重たいだろう思い、言えずに2年ほど過ごしました。それで不妊治療の助成金適応の条件が「43歳までに治療を始めること」ということを知り、言うなら今しかないと。

「そろそろ時間が迫っているのだけれど…子供は出来ればほしい?」と聞きました。彼は私を尊重してくれる人なので「チャンスがあるならやってみよう」と不妊治療にも理解を示し協力してくれました。