伝え続けて半世紀…〝東大式〟井出洋介が振り返るプロ生活「麻雀は賭けなくても面白い」【前編】

AI要約

井出洋介は若い頃から麻雀に親しんでおり、競技麻雀の世界で活動を始める。東大で麻雀プロを宣言し、『東大式』として活躍する。競技麻雀の普及に尽力し、日本健康麻将協会初代代表に就任。

阿佐田哲也や古川凱章からの影響を受け、競技麻雀の世界に導かれる。プロ麻雀雑誌で育った〝麻雀プロ〟という存在に認識を持つ。

学生時代に麻雀を通じて人生の方向性を見つけ、競技麻雀の世界で自らのスタイルを築き上げる。

伝え続けて半世紀…〝東大式〟井出洋介が振り返るプロ生活「麻雀は賭けなくても面白い」【前編】

【レジェンド雀士からの金言】〝東大式〟で知られ、多くのメディアに出演してきた井出洋介(68)は麻雀プロ団体がなかった時代に職業=麻雀プロを宣言。双葉社「週刊大衆」主催の「麻雀名人戦」3連覇後に「賭けない、吸わない、飲まない」をスローガンに掲げた日本健康麻将(マージャン)協会の初代代表に就任した。麻雀は賭けなくても面白いことを広めるべく粉骨砕身してきたプロ生活を振り返ってもらおう。

 麻雀と出会ったのは4歳のころ、お父さんの膝の上だった。

「家に部下や親戚を呼んで麻雀をやっていた父の膝の上でよく見ていたんです。小学校に入学するころには両親と姉の家族4人で、毎年正月三が日は麻雀をしてもいい日だったので、当時の私にとっては1年間で最高にすてきな3日間でしたね」

 点数計算も父から教わり、中学生になったら学校で普及活動も始めていたそうだが、高校までは野球とギターにも熱中していた。

「ギターをやっているうちにロックにも興味が湧き、エレキを購入。キーボードもやっていたので、将来は音楽の道に進みたいなという思いは漠然とありました。でも高校2年の秋、先生や家族から大学に行ったほうがいいと言われ、将来のことは大学に行っている間に決めればいいやと」

 父の母校でもあった東京大学を受験し、文学部社会学科に進学。将来を模索していた大学2年の秋、人生の羅針盤となる出来事があった。

「月刊プロ麻雀という麻雀雑誌が創刊され、阿佐田哲也杯創設!!みずみずしい感性を持った若者よ来たれといった記事を見たのですぐに応募しました」

 井出にとって「麻雀放浪記」の作家、阿佐田哲也は特別な存在だった。

「高校生だったころに深夜番組『11PM』の実戦麻雀教室コーナーを楽しみに見ていて、〝麻雀の神様〟として阿佐田哲也さん、麻雀評論家(※当時は麻雀プロという肩書はなかった)として小島武夫さんと古川凱章さんが出演していたんですが、阿佐田哲也杯の予選に行ったら、目の前で憧れの存在だった3人がそろってあいさつをしていたんです」

 この大会が記念すべき競技麻雀デビューとなり、翌年には古川が主宰する年間100荘打つリーグ戦「年間順位戦」にも参加。競技麻雀に没頭する日々を過ごす中で、同志と出会った。

「後に麻将連合で共に活動する高見沢治幸さんと古川さんの一番弟子だった青野滋さんの3人で、1981年に『麻雀競技解放戦線(MLF)』という、まだ世間的には単なるギャンブルと思われていた麻雀を競技として解放しようというゲリラ活動を始めたんです。古川さんに後援していただき、東京、大阪、横浜、名古屋で競技麻雀の研修会を行い、仲間を増やしていきました。これが僕の原点でもあります」

 井出の中では、75年に創刊された麻雀雑誌「月刊プロ麻雀」で〝麻雀プロ〟という存在を明確に認識できたという。

「古川さんが創刊号に寄稿したプロフェッショナルへの道という文章に、大きな影響を受けました。将棋や囲碁の世界のようにプロを育てていきたいという熱い思いが伝わり、この記事が〝麻雀プロ〟という存在を認識させてくれた気がします。だから私にとって小島さんは自由奔放なお父さん、古川さんはなんでも気が付くお母さん、阿佐田さんは偉大なおじいちゃんのような存在。競技麻雀の世界に導いてくれた3人がいなければ、今の私はいません」

「麻雀の社会学」というテーマで卒業論文を書き、卒業後、麻雀プロとして活動していくことを宣言。〝東大式〟という異名で活躍するようになる。

「83年に初めて本を出版してくれたのは双葉社で『挑戦!恐怖の東大麻雀』という戦術本でした。出版直後に池田書店から声をかけてもらい、翌年に出版した『東大式 麻雀に勝つ考え方』が〝東大式〟という名のついた最初の本です。当時、棋士の谷川浩司さんが『将棋に勝つ考え方』という本を池田書店から出版していて、この本の麻雀版を作ってくださいと言われたことがきっかけでした。池田書店の紹介で、谷川さんが21歳で名人になる前にお会いし、その後、私がタイトルを取った時の祝賀会で乾杯のあいさつをしていただいたり、谷川さんの結婚式に出席させていただいたり等、将棋界とも親交を持つようになりました」

 名人戦3連覇後、88年には、日本健康麻将協会の初代代表に就任。麻雀のギャンブルイメージとの闘いはさらに続くことになる。

 ※後編につづく

 ☆いで・ようすけ 1956年2月15日、東京都生まれ。日本健康麻将協会初代代表。麻将連合初代代表。全日本健康麻将協議会顧問。主な獲得タイトルは名人位のほかに第19期最高位、第2・4・12回王貞治杯ビッグワンカップ、第28期王座、第15期将王など。麻雀番組「THEわれめDEポン」で初回放送から解説を務め、ファミコンソフト「井出洋介名人の実戦麻雀」ではCMにも登場。「東大式 麻雀に勝つ考え方」「マンガでわかる!東大式麻雀 点数計算入門」など“東大式”と銘打った入門書や戦術書を100冊近く出版。