還暦迎えたマッチ、超満員の武道館で変わらぬ姿披露も…楽屋での話題は「親の介護」に時の流れ

AI要約

歌手近藤真彦の還暦を祝う「Thank you veryマッチ60th Anniversary 2024.7.19」が盛大に開催され、1万人のファンの前で28曲を熱唱した様子が伝えられる。

記者が取材を通じて、マッチがレースや介護について語る姿が描かれ、ファンや記者たちの幸福を感じさせる一面も紹介される。

マッチの武道館イベントを通じて、歌手活動が再び脚光を浴びる様子や、ファンとの絆が深まる喜びが伝わる。

還暦迎えたマッチ、超満員の武道館で変わらぬ姿披露も…楽屋での話題は「親の介護」に時の流れ

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

 マッチ、歌手近藤真彦の60歳の誕生日の19日、東京・九段の日本武道館で「Thank you veryマッチ60th Anniversary 2024.7.19」を取材した。還暦マッチは“赤い革ジャン”で登場して、短パン、ドン小西デザインのスーツ姿を披露して、超満員1万人のファンを前に「ハイティーン・ブギ」「スニーカーぶる~す」「ブルージーンズメモリー」「愚か者」「ギンギラギンにさりげなく」など全28曲を熱唱した。ステージには、たのきんトリオ以来の盟友・野村義男(59)、そして客席には川崎麻世(61)ら芸能界の友人たちも駆けつけて祝福した。

 記者が“J担”ならぬ“M担”を拝命したのは、2年前に中野サンプラザでバースデイライブを取材したのがきっかけだった。前年の4月に40年以上所属したジャニーズ事務所を退所、同年11月に歌手活動を再開。年を明けた3月に野村との全国ツアーの最終公演を取材したのに次ぐ、“聖地”中野サンプラザでの取材だった。

 講演終了後に楽屋で打ち上げを兼ねて、スポーツ6紙の記者がビールを飲みながら話を聞いた。もう締め切り時間も過ぎ、出稿も終わってリラックスした時間だった。

 マッチが6人の記者の顔を見回して「僕と話すのが初めての人」と聞いた。半分の3人が元々ジャニーズ担当だったが、4人が手を挙げた。残りの2人のうち1人は、10年余りジャニーズを担当しているバリバリの音楽記者だった。

 そして、もう1人が自分だった。「いつ以来の取材ですか」というマッチの質問に「30年以上前の日テレのドラマ『野望の国』の制作発表以来かな」と答えたが、実際は1992年(平4)10月の日本テレビ系「池中玄太83キロさよならスペシャル」の取材会が、日本テレビの川崎・生田スタジオで開かれたとき以来30年ぶりだった。

 「え? その時、どんな話をしたの」「確か、前の日に仙台の菅生サーキットでレースのためのタイヤテストをして…」というところから、話題が弾んだ。同業他社の亡くなった先輩の話、そしてレースの話と続いた。

 翌日、マネジャーから「近藤がレースの話ができて喜んでいた」というメールが届いた。J担の後輩から「先輩、マッチさんと話が弾んだそうじゃないですか“M担”任せましたよ」と命令されて今に至る。

 3年前にジャニーズを退所する前のマッチは、歌手よりもKONDO Racing監督としての仕事の方が忙しかった。それが、退所したことによって、事務所に気を使いながらお伺いを立てることなく歌手のスケジュールを入れることができるようになった。40年来のスタッフも後押ししてくれた。まさに「塞翁(さいおう)が馬」だ。今回の“還暦武道館”の翌日もフォーミュラジャパンの予選のために、夜中に富士スピードウェイへの移動を強いられていたが、歌手とレースの“二刀流”を伸び伸びとやれることで、還暦を前に歌手近藤真彦がスケールアップしてよみがえった。

 武道館の後も、富士スピードウェイに移動する前に軽く乾杯した。「ソロの歌手で還暦になって武道館を満員にできる歌手が同世代で何人いるかな」という話題になった。1人、2人と名前は挙がったが、片手でも指が余った。

 そして、何より幸せそうなのがマッチのファンたちだ。会場の日本武道館の近くに開演3時間以上前に到着したのだが、冷やし中華を食っても、お茶を飲んでパソコンを開いても、周囲のお店は赤い特製Tシャツを着たマッチファンであふれていた。

 しみじみしながら「ファンも幸せだよね、子育てを終えて時間ができたところで、マッチが歌手活動をまた本格化させて、武道館で声援を送れるなんて」と言うと、マッチは「まだまだ、これから親の介護の問題が出てくる人もいるだろうし、ファン自身も老いてくるから、今から10年後にできるかどうか」と話は尽きない。

 「スニーカーぶる~す」のデビューから44年。まさか、あのマッチと武道館の控室で介護を話題に話すとは。還暦すぎてダラダラ記者稼業を続けるのも悪くないと思わせてくれた、還暦マッチの武道館だった。【小谷野俊哉】