アジアで大人気の“のりピー”酒井法子「アイドルとしては難しい時期に差しかかっていました」ブレイクのきっかけは台湾と日本で93年放送の大ヒットドラマ

AI要約

酒井法子は、1987年に歌手デビューし、女優としても活躍する“のりピー”として知られる。

アジア各国で高い人気を誇る彼女は、香港でのライブが迫り、熱心なファンからの支持を得ている。

30年前の台湾ライブでの経験が、彼女に新たな道を切り開くきっかけとなった。

アジアで大人気の“のりピー”酒井法子「アイドルとしては難しい時期に差しかかっていました」ブレイクのきっかけは台湾と日本で93年放送の大ヒットドラマ

 1987年に『男の子になりたい』で歌手デビューし、“のりピー”の愛称で親しまれる酒井法子。93年のドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)、95年の『星の金貨』(日本テレビ系)など、女優としても活躍。主演ドラマ『星の金貨』の主題歌『蒼いうさぎ』は、シングルとしては自身最大となる累計99.7万枚のセールスを記録。中国、香港、台湾などアジア各国でも高い人気を誇っている。そんな永遠のアイドル酒井法子が語る「THE CHANGE」。目前に迫った香港ライブの意気込みから、アジア各地での人気の秘密、さらに憧れの大先輩の金言まで告白した。

 30年前、初めての台湾ライブで、1万人が私の名前をコール。それをきっかけに新しい道が開けたんです

――テレビやラジオに舞台の出演と、多忙な酒井さんですが、今月は海外でコンサートを開催するとか。

「香港の旺角マクファーソン・スタジアムで2日間歌わせていただきます。初日の7月13日は、くしくも5年前の香港公演と同じ日で、その偶然に不思議なご縁を感じています。

 3月に記者発表と撮影のために現地を訪れたんですが、温かく迎えていただいて感激しました」

――コロナ禍を経ての開催ですから、喜びも、ひとしおですね!

「大きな会場ですので、実を言うと“皆さんに来ていただけるかしら”という不安もあったんです。

 ところが、先行予約分のチケットが30分で完売したらしくて、すぐに翌日の追加公演が決定しました。びっくりするやら、ありがたいやらで、とにかくマンモスうれピーです(笑)!」

――さっそくののりピー語を、ありがとうございます。アジア各地で絶大な人気を誇る酒井さんですが、その快進撃は、いつから始まったんでしょう。

「1990年代に入った頃だったと思いますが、台湾で酒井法子が人気だという話が、当時の事務所に伝わったことがきっかけでした。

 92年5月に台北市立総合体育場で最初のコンサートを行ったんですが、空港に到着したら、メディアの方がたくさんいらしていて」

――それはすごい。

「それまで実感がなかったので、熱烈な歓迎ぶりに圧倒されました。ライブでも1万人くらいの方が中国語で、私の名前をコールしてくださったんです。

 同じ年の秋に同じ会場でもう一度、開催したんですが、どの場面も目にはっきり焼きついています」

――後に多くの日本人アーティストがアジアに進出しましたが、酒井さんは、その先駆けでした。

「当時の私はまだ21歳。デビューから5年が経過して、アイドルとしては難しい時期に差しかかっていました。これから、どうしていくべきか悩んでいた時期でもあったので、台湾の皆さんから自信をいただいた気がします」

――爆発的な人気を受けて、台湾の連続ドラマにも主演したとか。

「93年に放送された『我愛美人魚』という作品です。日本では同じ年に出演させていただいた『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)で、女優としても知っていただけるようになったので、私にとっては転機と言える時期でしたね。

 何かに秀でたわけでもない私に、海外活動やドラマで新しい道が開けたのは、ラッキーだったとしか言いようがありません」