小泉進次郎氏の好感度を上げただけ…フリー記者の「知的レベルの低さで恥をかく」質問に抱く"強烈な違和感"

AI要約

小泉進次郎氏の自民党総裁選への出馬を表明した記者会見で起きた「切り返し」が話題に

新聞記者がつまらない質問をする理由や会見での取材方法についての考察

権力者が恐れるのは会見で目立つ人ではなく、内幕を描くレポートを書くジャーナリストたち

■話題になった小泉進次郎氏の“切り返し”

 現代のメディア環境において、新聞記者という仕事というのはつくづく損である。そんなことを思わされる“事件”が相も変わらず日常的に起きている。

 直近で言えば、9月6日に行われた小泉進次郎氏の自民党総裁選への出馬を表明した記者会見である。「(小泉氏が首相になって)G7に出席されたら、知的レベルの低さで恥をかくのでは?」と問うたフリーランスのジャーナリストの質問が大きな話題になった。

 彼はかなり批判的な意図を持って質問したのだろうが、小泉氏が自身の至らない部分をはっきりと認めた上で「足りないところを補ってくれる最高のチームをつくる」とあっさり切り返されて終わり、この返答が大きく報じられた結果、小泉氏の好感度はかなり高まってしまった。普段、自民党や岸田文雄政権に批判的な人々も含めて、多くが小泉氏のやりとりを評価していた。当たり前のことである。

 彼は鋭く切り込んだつもりだったかもしれないが、好感度が上がるような好アシストをしたにすぎない。ここで重要なのは、一時のこととはいえ件のジャーナリストもまた“勝者”になったことだ。

 悪名は無名に勝る――。10年代以降のポピュリストたちは炎上騒動も知名度を上げるものと捉えていたが、その流れはメディアにも押し寄せている。

■なぜ新聞記者は“つまらない質問”しかしないのか

 会見の生中継が当たり前のものになり、SNSでも話題となる。注目の会見には最後まで中継が入り、インターネットメディアでも流す時代になった。決定的な背景を一つ挙げれば、コストパフォーマンスが圧倒的にいいことに尽きる。

 ここで割を食ってしまったのが、誠実な新聞記者たちだ。

 新聞記者が記者会見でつまらないとしか思えないような質問をしないのは、大抵の場合、わざわざ、ほんの少数しか知らない話を会見のようなオープンな場でひけらかすことはマイナスにしかならないという判断のほうが大きい。自分から独自ネタのカードを切るような真似を普通はしないし、「ここに今回の一件の重要なポイントがありますよ」という類の話は記事で書くものであって、会見で勝負するものではないのだ。

 普段から地道に取材活動に徹している現場の記者にとって、記者会見は大事な取材の一部ではあるが、すべてではない。

 それよりも問題の争点をいかにして事前に把握し、それらがどうなるかを事前に紙面に書くという伝統的なスクープを世に放つか、内幕をいかに鋭くえぐったレポートを書くことが問われていた。他社が、記者会見の席で事前に自分たちが報じたことを追いかけるような質問をしてくれること。これが最良の展開だ。

■権力者が恐れているのは「会見で目立つ人」ではない

 私も若手記者時代に、会見の一問一答をまとめることなど誰にでもできる仕事であり、会見の内幕を描くなら、その場で得られない話をいかにして自分しか知り得ない話を盛り込むかを考えるようにデスクから指導を受けた。

 どうしても自分が追いかけているネタで最後の最後に相手に聞き出さないといけないことがあれば、会見では当たり障りないことしか聞かずに、別の場面で相手と1対1になる状況を作ることが普通だった。単独インタビューを受けてもらえなければ、相手の自宅前で帰ってくるまで待ったり、朝に自宅前を出たところを捕まえたりする。いわゆる「夜討ち朝駆け」という伝統的な取材方法だ。

 逆に全社がいる前で質問を重ねないと書けないような取材もあったが、それは単に自分の取材が追いついておらず、水面下で起きていることを何も知らないまま他社が大々的に報じた特ダネを追いかけなければいけない取材だった。つまり、かなり情けなく、考えうる限り最悪の取材である。会見で質問したことで悦に入ることなど一切なかった。

 こうした教えや経験の一つひとつは、今になっても何も間違っていたとは思えない。内幕を描くレポートの書き方をどのようにして、新聞文体以外で書くかといった問題はあるにせよ基本的な方向性は正しい。

 これは権力と対峙(たいじ)してこそジャーナリストである、という考えをとる人たちにとっても有益な考え方だ。権力側が本当に恐れているのは、会見で目立つ人々ではない。会見では寡黙だが、方々に取材を敢行し、集めた事実を徹底的に検証して、非の打ち所がないほどに規律を徹底したレポートを書く人々である。