出生直後に別の赤ちゃんと取り違えられ「自分が何者か知りたいだけ」。原告が意見陳述 東京地裁

AI要約

東京都立病院で生まれた直後に別の赤ちゃんと取り違えられた男性が、生みの親を特定するため都に調査の実施や損害賠償を求めている訴訟が行われている。

原告の江蔵智さんは、20年以上前の取り違え事実を悔しく思い、生みの親を知る権利を主張している。

訴訟では、都による調査が拒否され、母親も生んだ子供の現在を知りたいと訴えている。原告側はDNA検査を通じた生みの親特定を求めている。

出生直後に別の赤ちゃんと取り違えられ「自分が何者か知りたいだけ」。原告が意見陳述 東京地裁

東京都立病院で生まれた直後に別の赤ちゃんと取り違えられた男性が、生みの親を特定する調査を都が行わないのは人権侵害だとして、都に調査の実施や損害賠償を求めている訴訟の口頭弁論が9月4日、東京地裁(平井直也裁判長)であった。

この日、原告の江蔵智さんが意見陳述した。

江蔵さんは、生みの親が見つかる可能性のある墨田区の戸籍受付帳について、「私が本当の私を知るための、人生そのものです。私が何者であるのかを知るための手掛かりです」と発言。

産院による取り違えの事実を認定した東京高裁の判決から20年近くが経っていることに対して「悔しくてたまりません」と憤り、「実の親を知ることが、そんなにも罪なことなのでしょうか」と裁判官らに問いかけた。

法廷では、育ててくれた母親への思いも語った。

江蔵さんは「母は、取り違えられた実の子が元気で暮らしているか、苦労はしていないかと心配して、自分の子を知ることにとても期待していました」と振り返った。

「私は母親に育ててもらったことをとても感謝しています。実の子の今を母親に伝えてあげることが、私にできる親孝行だと思って、この裁判を続けてきました」と述べた。

訴状などによると、原告の江蔵智さんは1958年4月10日ごろ、東京都立墨田産院(88年に閉院)で生まれた。

97年に母が体調を崩して病院で検査した際、自分が両親からは生まれない血液型だと分かり、親子関係に疑いを持つようになったという。

2004年に法医学の専門家に依頼して両親と自分のDNA鑑定をしたところ、自身が父と母のいずれとも血縁上のつながりがないと判明した。

都を相手取った民事訴訟で、東京高裁は06年、産院による取り違えの事実を認定。都に対し、江蔵さんと父母に計2000万円の損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡し、確定した。

江蔵さんはこの裁判と並行して、当時は開示されていた住民基本台帳を基に、自身の誕生日の前後10日間に生まれ、墨田区内で暮らす人を一軒一軒訪ねて生みの親を探し続けたが、手がかりは得られなかった。

高裁の判決後、江蔵さんは都に調査の協力を求めたが拒まれたため、提訴に至ったという。

江蔵さんの母は、「私も生んだ子どもがどうなっているか、見届けたいし、会いたいです」「会えるものなら、遠くからでも見てみたいです」と訴えている。

原告側は、調査に協力しない都の対応が、生まれた子を看護する内容を記した「分娩助産契約」に付随する義務に違反していると主張。

さらに、「子どもの権利条約」(日本は1994年に批准)が定める子どもの出自を知る権利を侵害していると指摘する。加えて、自由権規約が定める「人権侵害に対する効果的救済を受ける権利」も侵している上、憲法違反だとも訴えている。

江蔵さんの育ての父親はすでに亡くなっており、江蔵さんによると、90代の母は認知症の症状が進み、現在は高齢者施設に入居しているという。

原告側弁護団は、「原告の生みの親は、存命であるとしても相当に高齢化しているはず」として、「原告の人権救済を図ることはことは、時間の猶予を許さない喫緊の必要性がある」ことだと訴えている。

原告側は、都が生みの親を特定する調査をした上で、連絡先の交換についての意思確認をすることを求めている。

具体的な調査手法として、取り違えのあった当時、同じ産院で生まれた男児たちに対し、原告の母親とDNAが適合するかを調べる検査を受けてもらうことを提案している。

江蔵さんは法廷で、「生みの親を知りたいだけであり、相手がそれ以上の関係を望まないのであれば、それ以上関係を進めるつもりはありません。相手の考えを十分に尊重すると言っているのに、東京都が全く協力しないと言っていることには到底納得ができない」と訴えた。