「死んだら土地や家は銀行のものになります」能登半島地震後、住宅再建を相談した“被災者の悲しみ”

AI要約

能登半島地震の被害について、和倉温泉の旅館での悲鳴や観光地の現状、被災地の見附島に訪れる人々の姿を描く。

見附島の特徴や歴史、石川県による天然記念物と名勝指定について説明。

被災した地域に訪れる人々の背景や動機について考察。

「死んだら土地や家は銀行のものになります」能登半島地震後、住宅再建を相談した“被災者の悲しみ”

〈《能登半島地震》護岸が崩れ、風呂は沈下。旅館に海水が入ってくる…和倉温泉の旅館から聞こえる悲鳴「私達でさえ心が折れそうになる現場もあります…」〉 から続く

「あまりに被害が酷くて、とても観光どころではない」と言われていたのに、なぜか来訪者が後を絶たない。不思議な光景だった。

 地震で傷ついた能登の観光はどうなるのか。これまでは金沢駅の観光案内所で「大丈夫です。地元も歓迎していますよ」と勧められたスポットを巡ってきた( #1 ~ #5 )。広い半島でも「中能登」と呼ばれる中南部だ。では、被害が大きかった「奥能登」の観光地はどんな状況にあるのだろう。

 まだアクセスルートが規制されている箇所もあるので、石川県珠洲(すず)市の見附島(みつけじま、別名・軍艦島)を目指した。幹線道路に近くて、行きやすい場所にあるからだ。到着後、しばらく様子を見ていると、パラパラとではあるが、訪れる人が続く。住宅の倒壊が相次いだだけでなく、津波にも襲われた地区だ。観光客を受け入れる雰囲気など全くない。

 いったい、人々はどんな思いで来ているのか。

 能登半島は日本海に突き出た先端を境にして、外洋に面した波の荒々しい北西側を外浦、富山湾に面した穏やかな南東側を内浦と呼ぶ。

 見附島は内浦にある。波打ち際から約150m。静かな海に置かれた菱餅のような小島だ。

 全長162.5m、最高所の標高29.5m。周囲は白い断崖になっていて、島の両端は船首のように細くなる。その姿がまるで軍艦のように見えたことから、「軍艦島」の別名がついた。正式名称の見附島は、平安時代の高僧・空海が佐渡から能登へ渡った時に「見つけ」たという言い伝えに由来するのだという。

 島の上部はほぼ平坦で、頭髪のようにはえた森がある。冬には雪が降るにもかかわらず、まるで温暖な土地であるかのごとく、照葉樹林の群落が青々と繁る。植生地理学上、貴重なのだそうだ。

 江戸時代に記された『能登名跡志』には「風景たぐひなき地なり」とあり、古くから知られた名所だった。

 こうしたことから石川県は2017年、天然記念物と名勝に指定した。