山形市が「猛暑日本一」を他市に譲った日(2007年)【TBSアーカイブ秘録】

AI要約

昭和8年に40.8℃を記録し、70年以上にわたり山形市が日本一の暑さを保持していたが、2007年に記録が破られる。

山形市の暑さの理由は内陸部の地形とフェーン現象によるものである。

2007年以降、猛暑キャラクターや市ごとの暑さ合戦が行われ、暑さが異常な状態に入っている。

山形市が「猛暑日本一」を他市に譲った日(2007年)【TBSアーカイブ秘録】

暑い日が続きますね。1933(昭和8)年以降、長いこと「夏の気温・日本一」だったのは、山形市でした。それが破られたのが2007(平成19)年のこと。そのあたりから、なんだか日本の猛暑は「異常」の域に入っていった、と、そんな気がしませんか?(アーカイブマネジメント部 疋田 智)

■70年以上不動の1位

昭和8年というのは、日本が国際連盟を脱退し、いよいよ時代がきな臭くなっていた頃です。この年、山形市では40.8℃を記録し、この記録が長いこと日本の夏の暑さ、ナンバーワンとなりました。山形地方気象台にはそのときの手書きの記録が残っています。

山形市といえば、寒いはずの東北地方ですが、そこでなぜ?

その理由は地形とフェーン現象にありました。

■山形市がなぜ暑かったのか

山形市は内陸部に位置しており、もともと昼夜の気温差が大きくなる傾向がありました。特に夏場は日中の気温が急上昇しやすくなります。

さらに、山形市は周囲を山々に囲まれた盆地状の地形であるため、南から風が吹く際にフェーン現象が発生しやすいのです。このフェーン現象が昭和8年に起き、当時としては信じられないほど気温が上昇したのです。その記録は74年にわたって破られませんでした。

■2007年以降の「暑さ合戦」

ところが、2007年以降、不動の暑さナンバー1に異常が起きます。

2007年8月16日に熊谷市(埼玉県)と多治見市(岐阜県)が40.9℃を出して記録を更新すると、毎年のように「今年は猛暑」「最高気温更新」が相次ぎ、いつしか街々の「暑さ合戦」のような様相を呈していきました。

■熊谷市に「あつべえ」登場

なかでも埼玉県の熊谷市は、猛暑キャラクター「あつべえ」を登場させ「暑さで街を盛り上げる!」というキャンペーンを始めました。

市内中心部には巨大温度計が置かれ、駅前には暑さ対策のミストが噴霧されるようになりました。キャッチフレーズは「あついぞ!熊谷」。これは「暑い」というのと「熱く燃えてるぜ!」という気合をかけていましたが、現在は、ちょっと暑苦しすぎるということで若干のトーンダウンをしているようです。