「みんなの前で裸見せるんとちゃうんか」…元「伝説のストリッパー」を魅了した男の「究極のナンパ術」

AI要約

1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性、一条さゆり。彼女の波乱万丈な人生と昭和の日本社会の変化を記録した『踊る菩薩』から紐解く。

日本のプロ野球にとって歴史的な年であった1974年。巨人の王貞治の3冠王と長嶋茂雄の引退と一条さゆりの裁判の対比。

一条の生活保護を受け、レストランで仲居をしながら顧客にストリップの経験を話す彼女の生活。苦境に立たされても、彼女は生きていく。

「みんなの前で裸見せるんとちゃうんか」…元「伝説のストリッパー」を魅了した男の「究極のナンパ術」

1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第59回

『最高裁で開かれた戦後最大の「ポルノ裁判」…裁判費用に困窮した「伝説のストリッパー」が矜持を捨てて「カネのためにしたこと」』より続く

74年(昭和49年)は日本のプロ野球にとっては歴史的な年だった。巨人の王貞治が史上初の2年連続3冠王に輝きながら、チームは10連覇を逃した。一条と同じ58年にデビューした巨人軍の長嶋茂雄が引退したのもこの年だった。10月14日の後楽園球場。長嶋は「巨人軍は永久に不滅です」と述べ、バットを置いた。

長嶋がスポットライトを浴びながら現役生活に別れを告げているとき、一条は罪に問われて裁きを待っている。同じように身体1つでファンを沸かせてきたのに、置かれた状況は天国と地獄ほどにも違ってしまった。

一条は生きていくのに必死だった。レストラン「510」で仲居をしながら、客から指名がかかると、その席に顔を出し、お酒を勧める。伝説の踊り子を一目見ようと通う客も多かった。彼女はストリップの世界での経験を隠さず、宴席で駒田信二の著書『一条さゆりの性』を売ったりもしていた。

あるとき、一条は吉田源笠という年下の男性の指名を受けた。「510」オーナーの知り合いで「ゲン」と呼ばれていた。

一条が亡くなった後、私はゲンにインタビューしている。

彼は鹿児島から大阪に出てきて建設業を営んでいた。一条と出会ったときは20代中頃。度胸のよさを頼りに生きてきた元愚連隊リーダーだった。

「あのレストランの経営者が私の知り合いでした。『最高の女やで。お前、面倒みたったらどうや』と持ちかけられた。それやったら一度、会いに行ってみるかということになり、店を訪ねたんやったと思います」

一条が座敷に姿を見せ、丁寧にあいさつすると、ゲンはいきなりこう言った。

「お前、ここ(ファイブテン)の社長の女なんか」

一条は笑顔で答えた。

「違いますよ。面倒をみてもろてるだけです」

「俺はストリップのことは知らんのやが、お前、ストリップの世界におったらしいな」

失礼な冷やかし方だった。さらに彼はこうたたみかけた。

「ストリップってみんなの前で裸見せるんとちゃうんか」

一条はプイと横を向いて、席を立ってしまった。