球場のホームランテラスは「ズル」ではない…柵を手前に設置するだけでHRが量産される科学的理由

AI要約

「月に向かって打て」という名言は、動作の指導よりも目標の設定が重要であり、科学的にも効果的であるとされる。

「月に向かって打て」という名言は、環境を操作して最適な動作を生み出す「スポーツ版ナッジ」の一例である。

スポーツ版ナッジによるアドバイスは、従来の練習法よりも効果的であり、選手のパフォーマンス向上に貢献する可能性がある。

プロ野球史に残る「月に向かって打て」という名言がある。東京大学大学院で行動経済学を研究する今泉拓氏は「最新の研究では、スイングの上達には、動作の指導よりも目標の設定が重要とされている。この名言は指導法として科学的に適っている」という――。

 ※本稿は、今泉拓『行動経済学が勝敗を支配する 世界的アスリートも“つい”やってしまう不合理な選択』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。

■ホームランを打てるようになるための科学的に正しい指導法

 あなたは高校野球の指導者だとします。部員のホームラン数を増やしたいとき、効果的な指導法は(1)~(3)のうちどれでしょうか?

 (1)~(3)のうち、(1)は適切な動作を直接指導するのではなく誘導する“スポーツ版ナッジ”を用いた練習法となっています。そして、(1)が一番効果的であることを示す研究も存在します。

 本稿ではホームランを打つための練習を題材に、スポーツ版ナッジについて理解を深めていきましょう。

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【POINT】

・環境の制約を利用するスポーツ版ナッジを用いることで、従来の練習法より効率的に上達できる可能性が知られている。

・ホームランを打つための練習では、柵という制約を活用することでホームランやフライ性の打球が増えることが示された。

・制約を用いる指導法は制約主導アプローチと呼ばれ、主にサッカーで話題である。この指導法は近年の価値観ともあうため、選手・指導者ともに求められる資質や練習法が変わってくる。

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■プロ野球の名言「月に向かって打て」が的確だったワケ

 ホームランを増やす“スポーツ版ナッジ”を理解しやすくするために、まずは「月に向かって打て」という名言を取り上げます。

 この名言が生まれたのは、1968年のことでした。東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)の飯島滋弥打撃コーチが選手の大杉勝男に送った言葉です。

 当時、大杉はプロ3年目。長距離砲として期待されていましたが、アッパースイング(ホームラン狙いの下から上に振るスイング)が原因で絶不調になってしまいました。自信なさげにバッターボックスに向かう大杉に、飯島コーチはアドバイスを送ろうとしました。

 そのとき、中秋の名月がレフトスタンドの上、25度くらいの空に浮かんでいるのが見えました。ちなみにこの25度という角度は、セイバーメトリクスで知られる長打になりやすい打球の軌道、バレルにも近く、まさに最適な位置に月がありました。

 そこで飯島コーチが送ったのが「月に向かって打て」というアドバイスです。

 「月」と聞くと、遠くまで豪快なバッティングを要求しているように思われますが、実際は逆でした。アッパースイングをやめて、低い月に突き刺さるように鋭いスイングをしようと、理想の弾道を暗に示す金言だったのです。

■環境を操作して最適な動作を生みだす「スポーツ版ナッジ」

 アドバイスを受けた大杉はアッパースイングが矯正されたのか、打撃能力を開眼させました。

 結果、プロ19年で、通算486本塁打、セパ両リーグで1000安打と記憶にも記録にも残る選手になりました。

 この「月に向かって打て」で注目すべき点は、飯島コーチが打撃動作を具体的に指導しているのではなく、理想の動作(アッパースイングの改善)を導くことを狙いとしている点です。

 本稿では、環境を操作することで最適な動作を引き出すことを“スポーツ版ナッジ”と呼んでいます。飯島コーチは月をゴールにすることでスイングを改善しており、スポーツ版ナッジの一例といえます。

 では、このようなスポーツ版ナッジによるアドバイスは、実技指導する従来の練習と比べて、どの程度効果的なのでしょうか。このエピソードと似ているような状況で研究をした、アリゾナ大学のグレイの研究(※1)を紹介します。

 ※1:Gray, R.(2018). Comparing cueing and constraints interventions for increasing launch angle in baseball batting. Sport, Exercise, and Performance Psychology, 7(3),318-332.