「好きなだけ野球したかった…」白血病と闘い、17歳で逝った友 ”遺書”に残された思いを胸に、仲間で目指す集大成の甲子園

AI要約

第106回全国高校野球選手権長野大会が開幕し、長野市の中学生チーム出身の5人が、病気で亡くなったチームメートを胸に甲子園を目指して奮闘している。

亡くなった荒井大輝さんは急性リンパ性白血病で17歳で亡くなり、残された友人たちは彼の思いに応えるべく頑張っている。

荒井さんは再発や骨髄移植を経て闘病生活を送り、最後は「野球を好きなだけやりたかった」という遺書を残して逝った。

「好きなだけ野球したかった…」白血病と闘い、17歳で逝った友 ”遺書”に残された思いを胸に、仲間で目指す集大成の甲子園

 6日開幕した第106回全国高校野球選手権長野大会。長野市などの中学生でつくる硬式野球チーム「長野東リトルシニア」から長野日大高に進んだ3年生5人は、昨年末に病気で亡くなったチームメートの存在を胸に、練習に励んできた。高校3年間の集大成となる大会。病気と闘った友の頑張りに応えようと、甲子園を目指して奮闘している。

 5人は松本光世選手(18)、田村快斗選手(17)、小山泰斗選手(17)、中島龍之介選手(18)、北島大輝選手(17)。亡くなったのは5人のシニア時代のチームメートで長野日大高2年だった荒井大輝さんだ。昨年12月17日、17歳で生涯を閉じた。急性リンパ性白血病だった。

 「股関節が痛い」。荒井さんが不調を訴えたのは長野北部中2年だった2020年6月だった。シニアでは投手を務めており、父謙吾さん(56)は当初、股関節のストレッチを「やり過ぎたのかな」と思った。だが、痛みで夜も眠れず、病院で白血球の数値が異常に高いことが判明。即入院し、闘病生活に入った。

 約1年4カ月後にいったん寛解し退院。通学を再開し、22年4月に長野日大高へ進学した。ただ、荒井さんは体力面の不安もあって野球部に入るのを断念した。

 同年7月に再発が分かった。4カ月ほどで再び寛解となったものの、23年2月には2度目の再発。骨髄移植を受け、7月ごろには退院のめどが立ったが、今度は骨への転移が判明した。「完治は難しい」と診断された。

 体内で血液が作れなくなり、週に2度の輸血が欠かせなくなった。骨が弱り、昨年11月には長野市内の自宅で突然、左太ももの骨が折れた。亡くなる1週間ほど前からは、徐々に意識がもうろうとした。

 中島選手や田村選手らは12月、荒井さんを励まそうと病院を訪れ、メッセージ入りの野球ボールを届けた。直接会うことはできなかったが、両親がボールを握らせると荒井さんの目が開いたという。翌日、荒井さんは両親に見守られて静かに息を引き取った。

 亡くなった後、荒井さんのスマートフォンから「遺書」が見つかった。「野球を好きなだけやりたかった」。そう書いてあった。