だから『キングダム』の信は戦災孤児ながら「天下の大将軍」を目指せた…秦国にあった究極の軍功制の中身

AI要約

『キングダム』の映画版第4弾が公開される。古代中国思想史の研究者によれば、秦国の始皇帝の政治改革が中華統一への道を築いた。

物語の主人公「信」は、秦の軍功爵制によって大将軍を目指す戦災孤児。秦の制度は他国と異なり、庶民も将軍になる道が開かれていた。

秦の始皇帝が天下統一する約140年前に、商鞅が行った政治改革が極端で苛烈だったが、秦を変貌させた。商鞅の思想は始皇帝の中華統一に向けた最初のレールを敷いた。

人気漫画『キングダム』(作:原泰久)の映画版第4弾『キングダム大将軍の帰還』が7月12日に公開される。古代中国思想史の研究者である渡邉義浩さんは「物語の舞台となる秦国は、始皇帝が生まれる100年ほど前に政治改革を行って国内のすべてのリソースを戦争に投じ、歴史の流れより数百年早く中華統一を達成する道筋をつけた」という――。

 ※本稿は、渡邉義浩『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

■主人公「信」のモデルは始皇帝に仕えた英雄・李信

 『キングダム』は、戦災孤児でなんの後ろ盾もない信(しん)が大将軍を目指す姿を追う物語だ。この立身出世を可能にするのが、「軍功爵制」である。

 ひとことで言えば、戦で手柄を立てれば、手柄に見合った出世ができるという仕組みだ。こうした制度はどの国でも取り入れてはいたが、秦の場合は徹底しており、生まれが下僕であっても、大将軍への道を用意している点が他国とは異なる。他の六国では、野盗出身の桓騎(かんき)のような将軍はありえない。

 実際、信のモデルとなった李信(りしん)は、戦国時代に多くの軍功を挙げて将軍の位にたどり着き、秦の統一に貢献した。歴史上の李信が『キングダム』の信のように孤児だったかどうかは不明だが、秦では庶民階級から将軍に上り詰めることも決して絵空事ではなかった。軍功を挙げた者には、地位だけでなく家や土地も与えられる。

■始皇帝が天下統一する140年前に秦の商鞅が行った大改革

 春秋時代から戦国時代に変わって40年ほどのちに、孝公は秦の君主となった。嬴政(えいせい)(のちの始皇帝)が天下統一を果たす140年ほど前にあたる。

 当時は七国のひとつである魏(ぎ)が覇権を握っており、秦は大きく領土を奪われていた。孝公は勢力の挽回を図るため、即位と同時に広く人材を求めた。このとき抜擢されたのが商鞅(しょうおう)である。商鞅は「法家」の思想を前面に取り入れた一大政治改革を孝公に申し出た。

 戦国時代の初期、東周の凋落(ちょうらく)を見た各国は富国強兵を目指し、政治体制や軍制の改革を模索していた。こうした改革を「変法(へんぼう)」といい、その内容は国ごとに異なっていたが、商鞅が立案した変法ほど極端なものはほかにはない。商鞅の変法は、秦を中国大陸史上存在したことのない国に変貌させてしまう、苛烈な改革案だった。そうした動きに対して国中から猛烈な反発が出たが、孝公は反対の声を完全に押さえ込んで、商鞅の思う変革を実現させる。

 のちに六国を平定したときも、秦は商鞅の法家思想にのっとった制度で国を治めていた。孝公と商鞅は、およそ140年後に嬴政が達成する中華統一に向けて、その最初のレールを敷いたのである。