「銀座の大家」亡き後の「丸源ビル」衝撃の現在…3ヵ月で400億円近くのカネが動いた

AI要約

バブル期の銀座の大家である川本源司郎氏の歴史と遺産について述べられています。彼の死後、所有していた銀座の物件が相続者によって売却された経緯も明らかにされています。

川本氏は節税を目的にペーパーカンパニーを構築し、バブル崩壊後に税務当局によって摘発されたことが記されています。彼の遺産は約400億円に達したが、所有物件の一部は放置されて廃墟化が進んでいました。

最後に残された銀座の物件は不動産業者によって総合的に調査され、売却された結果が記されています。各物件が適切にメンテナンスされる必要性や高い金額で売却されたことが言及されています。

「銀座の大家」亡き後の「丸源ビル」衝撃の現在…3ヵ月で400億円近くのカネが動いた

コロナ禍が治まって東京・銀座に客が戻ってきたとはいえ、バブル期の“狂乱”とでも言うべき喧噪とは比べるべくもない。当時は、「夜の蝶」と呼ばれたホステスが華やかさを競い、土地や株で財を成したバブル紳士が札びらを切っていた。その頃、接待交際の舞台を提供していたのが、「源」を丸で囲んだ丸源ビルだった。

クラブやスナックが密集する社交ビル。オーナーは最盛期に銀座を中心に、赤坂、熱海、博多などに約60棟の丸源ビルを持ち、総資産2000億円といわれた川本源司郎氏である。1932年3月、九州・小倉(現北九州市)に生まれ、慶応大学卒業後、家業の呉服屋を継ぐが、収益を不動産に注ぎ込み、それが功を奏し、高度経済成長の波に乗って資産は膨らみバブル期にピークを迎えた。ただ、不動産の取得原価が安く銀行借り入れもしなかったためバブル崩壊には連座しなかった。

バブル紳士とは一線を画した川本氏だったが、趣味のように繰り返していた節税を国税当局が脱税と認定して摘発。2013年に逮捕起訴され21年1月、4年の懲役刑が確定した。以降、「銀座の大家」の動静はまったく伝わらなくなった。もともと独身を謳歌、丸源、丸源興産、丸源ビルなど幾つもの会社を設立していたものの、いずれも節税のためのペーパーカンパニー。社員はいないに等しく、刑務所に入る前にテナントを追い出し、丸源ビルは「幽霊ビル」の様相を呈していた。

その川本氏が、今年2月12日、91歳で亡くなっていたことが判明した。川本氏は個人資産として、銀座8丁目の「丸源25ビル」を所有していたのだが、4月26日、都内や福岡の6名の親族が、2月12日に発生した相続で取得。6月10日に東京・渋谷の不動産業者に共有者持分全部を移転し、同社が東京・港区の不動産業者に即日転売した。

川本氏が最後に残した銀座の物件は、「丸源25ビル」など8物件で、銀座の不動産事情に詳しい業者が、建ぺい率や容積率、路線価などを参考に弾き出した価格が7物件(1物件は未調査)で約370億円だった。8物件なら概算約400億円である。

8物件は、いずれも「川本不在」を映して廃墟化が進んでいた。「丸源15ビル」では外壁に取り付けられた看板の一部が落下して通行人がケガをする事故も発生、くすんだ外観と合わせ、メンテナンスの必要性が指摘されていた。

筆者が「丸源25ビル」の所有権移転に合わせ、全物件を調べたところ、今年3月から6月にかけて所有権が移転していることが判明した。登記申請中で不動産登記簿謄本を確認できない物件もあったが、全物件がいったん「丸源25ビル」で登場した渋谷の不動産会社の手に渡り、ほぼ同日転売の形で、上場不動産会社、不動産ファンド、あるいは豊富な資産で知られる企業グループへと売却されているのだった。