なぜ宮内庁は「皇室ご一家のインスタ」を始めたのか…「2カ月で140万人フォロー」を手放しで喜べないワケ

AI要約

宮内庁が4月1日に公式インスタグラムを開始し、天皇皇后両陛下の公務などを発信している。フォロワー数は2カ月で140万人を超えた。

エリザベス女王のSNS活用から始まる王室の広報活動の重要性。王族の公務や真の姿を伝えることで国民の理解が得られる。

最後の別れを告げる際、エリザベス女王に対する国民の感謝の表れ。15年以上にわたる広報活動が国民との絆を深めた。

宮内庁が4月1日に公式インスタグラムを開始し、天皇皇后両陛下の公務などを発信している。宮内庁がSNSで情報発信するのは初めてで、フォロワー数は2カ月で140万人を超えた。関東学院大学の君塚直隆教授は「相当の関心を集めてはいるが、残念ながら天皇や皇族の活動に関心のない国民が多い。宮内庁には、このままでは皇室が存続できないという危機感があるのだろう」という――。

■開設から2カ月で140万人超がフォロー

 2019年3月7日、ロンドンにある科学史博物館を訪れたある老婦人が、最新のSNS機器である「インスタグラム」を解説したコーナーに立ち寄り、おもむろに自身のアカウントに入力し始めた。

 「いま科学史博物館にきてこの一文を入力しています」。この老婦人こそ誰あろう、ときの君主エリザベス2世女王そのひとである。当時92歳であった。

 それから5年の月日が経ち、日本の皇室もようやく2024年4月1日からインスタグラムに参入し、日々の天皇・皇族のご活動を最新の画像やときには映像も交えて配信している。開設から2カ月ほどでフォロワーは140万人を超えるにいたった(2024年5月30日時点)。

■エリザベス女王がSNSに積極的になった理由

 SNSを積極的に活用し始めた王室はエリザベス女王のイギリスであった。

 きっかけのひとつは「ダイアナ事件」(1997年)である。1996年に当時のチャールズ皇太子(現国王)と離婚したダイアナ妃が、翌年夏に交通事故死に遭い、国民の多くが悲嘆に暮れるなか、女王はなかなか哀悼の意を示さず、沈黙を守り続けていた。

 この態度に国民から怒りが沸き起こり、女王はテレビ演説もおこない、葬儀にも出席して、国民からの怒りも静まるが、その後しばらくは王室の支持率は珍しく急降下をたどった。

■「王族は贅沢な暮らしをするばかり」という人々の誤解

 このとき国民の多くが、社会的な弱者のために慈善活動をおこなっているのはダイアナだけで、他の王族は贅沢な暮らしをするばかりであると「誤解」していた。

 女王は自分たちの真の姿を知ってもらおうと、広報活動に積極的となっていく。1997年から立ち上げられた王室のホームページを充実化させ、21世紀に入ると、ユーチューブやツイッター、そしてインスタグラムにも参入し、王族たちの日々の活動を最新の写真入りで紹介した。

 これを見て多くの国民が驚いたのである。80歳をとうに超えていたエリザベス女王が、実に600以上もの各種団体のパトロン(後援者)を務め、年間に300を超す公務に勤しんでいたのだ。

 女王より5歳年上の夫エディンバラ公爵も、2017年夏に96歳で公務からの引退を決めたとき、なんと785もの団体のパトロンを兼ねていた。しかもそれらは決して「お飾り」ではなく、女王も老公もこれらの団体の総会やレセプション、資金集めのパーティーなどにフル稼働で出席し、毎日「はしご」で公務をこなしていたのである。

■最後の別れを告げる英国民が長蛇の列を作った

 こうした広報活動の成果は15年かかって人口に膾炙した。ダイアナ事件から15年後の2012年、国民はエリザベス女王の在位60周年記念式典(ダイヤモンド・ジュビリー)を盛大に祝い、この86歳の偉大なる君主に敬意を表した。

 それは10年後の在位70周年記念式典(プラチナ・ジュビリー)でさらなる盛り上がりを見せたが、同じ2022年9月に女王は96年の生涯に幕を閉じることとなった。女王の棺が安置されたウェストミンスター・ホールには、最大で24時間以上も待って最後の別れを告げる国民の姿も見られた。

 そのような人々にテレビのインタビュアーが「なぜこんなに長く並んでいるのですか?」と尋ねると、次のような答えが返ってきた。「女王はその生涯を私たちのために尽くしてくれました。だから女王にお礼を言いたいのです」。

 ダイアナ事件のあとに、女王がそれまでどおりの生活を続け、イギリス王室とはなにか、女王の仕事とはなにかを国民に知らしめるための、新たな広報活動を怠っていたならば、このような現象は起こらなかったであろう。

 女王の棺に別れを告げるために並んでいたのは年配の人々だけではない。文字どおりの老若男女すべての国民が、SNSなどを通じて、彼女の生涯を通じての国民への「奉仕」に感謝するために夜を徹して並んだのである。