大阪・堺市「LRT計画」はなぜズッコケたのか? 市民不在で進み、市民によって葬られた“残念結末”を振り返る

AI要約

堺市は長年にわたって東西を結ぶ鉄道路線の整備を求められてきたが、遂に次世代型路面電車(LRT)計画が具体化された。

市民の要望とは異なる方向から計画されたLRT計画は、臨海部の開発を目的としたものであるが、阪堺線の再生問題との絡みで進展することとなった。

計画の肥大化に伴い、事業費は膨大なものとなり、2010年度末の開業を目指す区間を含めて約425億円かかる見込みとなっている。

大阪・堺市「LRT計画」はなぜズッコケたのか? 市民不在で進み、市民によって葬られた“残念結末”を振り返る

 大阪府の中南部に位置する堺市は、府内第二の政令指定都市である。そんな同市は、その規模の割に交通網に大きな問題を抱えていた。

 南北にJRや南海など複数の鉄道路線が走るにもかかわらず、東西を結ぶ鉄道はなく、バスだけが頼りになってきたのだ。これを改善しようとする東西交通の路線計画は、実に

「100年」

も前から立ち上がっては消えることを繰り返してきた。

 1920(大正9)年には南大阪電気軌道(のち南大阪電気鉄道)が南海本線の堺駅前付近から奈良方面へ向かう路線を計画し、鉄道省から免許も得たが、まったく進展することなく立ち消えとなった。

 戦後、臨海工業地帯が発展した時期にも東西を結ぶ鉄道の建設が言及されたが、やはり実現には至らなかった。このように、堺市では長年にわたって市民から東西交通の整備が強く求められてきた。

・JR阪和線

・南海本線

・阪堺(はんかい)電軌阪堺線

などの南北方向の鉄軌道網が発達する一方で、東西方向の公共交通は脆弱(ぜいじゃく)なままだった

 しかし、堺市がようやく打ち出した次世代型路面電車(LRT)計画は、市民の長年の要望とはまったく異なる方向から具体化された。その計画とは、堺市が推進する

「東西鉄軌道計画」

である。中心市街地と臨海部を結ぶ交通網の整備を目指した計画である。当初は新交通システムとミニ地下鉄が検討されたが、2003(平成15)年にLRTの採用が決定した(『日刊建設工業新聞』2003年4月21日付)。

 しかし、この時点ではまだ構想段階であった。

 LRTの具体化が加速したのは、2007(平成19)年にシャープが臨海部に大規模な液晶パネル工場の建設を決定したことがきっかけだった。

 これにより、工場へのアクセス需要が見込めるようになり、東西鉄軌道計画は急速に前進していく。しかし、この計画は、市民が求めていた市内移動を円滑にする路線とは、まったく異なるものだった。ここに、老朽化が進み存続の危機にひんしていた阪堺線の再生問題が絡んでくる。

 阪堺線の堺市区間(7.9km)の1日乗降客数は、1965(昭和40)年の約5万4100人から2005年には約6800人まで激減しており、阪堺電気軌道は大阪市区間を残して堺市区間の廃止を検討するまでに至っていた(『毎日新聞』2006年12月13日付朝刊)。

 これに対し、堺市はLRTの事業者公募に応じた南海電気鉄道グループの提案を受け、2010年度開通予定のLRTとの相互乗り入れによって阪堺線の存続を図ることを決めた。こうして当初からズレていた市民ニーズと行政の思惑が、阪堺線の再生問題を機に奇妙な形で合体してしまったのである。

 本来、堺市で長らく求められていたのは、

「JRと南海の鉄道駅とをつなぐ路線」

だった。この目的を達成するには、阪堺線を東西に延伸するのがもっとも現実的なプランだったはずだ。

 ところが、それが臨海部の開発を目的とした東西鉄軌道計画と合体してしまった。こうして、市民が長らく求めていた路線計画は、都市開発や事業者の事情に引きずられる形で肥大化の一途をたどっていくのである。

 計画の肥大化によって、事業費は巨額になった。市の試算では、東西鉄軌道の概算事業費は総額約425億円に上るとされた。内訳は、2010年度末の開業を目指す早期開業区間が約85億円、延伸予定区間が約280億円、阪堺線へのLRT乗り入れに伴う整備費が約60億円だった(『朝日新聞』2009年2月3日付朝刊)。