ブラジルのフラッグキャリア「ヴァリグ航空」はなぜ破綻したのか? かつては日本~ブラジルを24時間で運航、その栄光と悲劇を振り返る
ヴァリグ・ブラジル航空がかつて運行していた日本路線について解説。路線は世界屈指の長距離路線で、所要時間は24時間にも及んだ。
ヴァリグ・ブラジル航空はブラジル最古の航空会社であり、ブラジルのフラッグキャリアとしての地位を確立。歴代の大統領や有名人の輸送にも使用された。
1990年代まで航空業界のブラジルを代表していたが、2000年代以降に路線の運休が相次ぎ、2010年には消滅。その理由についても解説する。
かつて、成田空港や名古屋空港からはロサンゼルス経由で、地球の反対側にある南米ブラジルのサンパウロやリオデジャネイロへの路線が運航されていた。
所要時間はなんと24時間にも及び、当時この路線は世界屈指の長距離路線だった。
この路線を運行していたのはヴァリグ・ブラジル航空で、同社はブラジルのフラッグキャリア(国を代表する航空会社)であり、南米を代表する大手航空会社だった。しかし、2000年代以降、日本路線を含む多くの路線を次々と運休し、2010年には消滅してしまった。
なぜヴァリグ・ブラジル航空とその日本路線はなくなってしまったのだろうか。この記事でその理由を解説する。
ヴァリグ・ブラジル航空は1927年に創業した、ブラジル最古の航空会社であり、世界でも屈指の老舗である。第2次世界大戦後、ブラジルの経済が成長するにともない、同社のネットワークも拡大した。国内線だけでなく、南米各地、北米、欧州にも路線を広げていった。
1961年には、同国最大のライバルであったREAL航空が経営難に陥ったことを受けて、その航空会社を買収した。この買収により、ヴァリグ・ブラジル航空はブラジルのフラッグキャリアとしての地位を確立し、リオデジャネイロとサンパウロを拠点に、世界各地への路線展開を行った。
1997年10月にはスターアライアンス(同年5月設立の世界初の航空会社連合)にも加盟し、同アライアンスにとって初めての途中加盟会社となった。これはANA(1999年10月加盟)よりも早い加盟だった。ヴァリグ・ブラジル航空は、
・B747
・B767
・MD-11
など、時代ごとに最新の大型機材をそろえ、1990年代まで航空業界のブラジルを代表する存在であった。
実際、同社の機材は歴代のブラジル大統領やサッカー代表チームの輸送にも利用された。また、1994年に事故で亡くなったF1ドライバー、アイルトン・セナの遺体の搬送にもヴァリグ・ブラジル航空の機材が使用された。