「とうとう銀行が破綻しました」蔵相の失言が取り付け騒ぎの引き金に…それでも当の銀行幹部が「笑みを浮かべた」は本当か【昭和の暴落と恐慌】

AI要約

1927年の昭和金融恐慌の引き金となった大蔵大臣の失言について、関東大震災後の混乱や取り付け騒ぎの背景を描く。

大蔵大臣の不用意な発言が全国で銀行の取り付け騒ぎを引き起こし、37銀行が倒産に至る事態が生じる。

失言が金融恐慌の始まりとなり、当時の状況や混乱をより詳細に理解する。

「とうとう銀行が破綻しました」蔵相の失言が取り付け騒ぎの引き金に…それでも当の銀行幹部が「笑みを浮かべた」は本当か【昭和の暴落と恐慌】

 8月に起こった日経平均株価の乱高下。2008年9月15日のリーマン・ショックをはじめ、株価の暴落はこれまで何度も起こっているが、中には大恐慌という“地獄”への号令となった例もある。「世界的な大恐慌は再来する」といった主張も以前から見受けられるだけに、今度は何がその引き金になるのか、投資に熱心ではない層も気になるところだろう。

 本シリーズでは、昭和初期の日本が見舞われた恐慌と暴落を振り返る。第一次世界大戦後、日本を襲った恐慌は戦後恐慌と関東大震災による震災恐慌、昭和金融恐慌、世界恐慌の4つ。そのうち1927(昭和2)年の昭和金融恐慌は、震災恐慌で負った痛手が癒えないなか、「渡辺銀行が破綻した」という事実誤認の閣僚発言が引き金となった。

 実際に危機に瀕していた渡辺銀行にとってこの失言は「渡りに船」であり、知った銀行幹部は笑みを浮かべたとする文献もある。だが昭和が終わった1980年代末、渡辺家の子孫と『失言恐慌』の著者である佐高信氏は、この見方に疑問を呈していた。

(全3回の第1回:「週刊新潮」1989年2月9日号「昭和史あらしの果て」より「昭和金融恐慌の引金『大蔵大臣』の失言」をもとに再構成しました。文中の肩書き等は掲載当時のままです)

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 関東大震災後の大混乱の中で、誰もが不安を感じていた。いわば、ガスが充満した部屋で、マッチを擦ったようなものだったのかもしれない――。

 時の大蔵大臣の、たった一言の不用意な発言。それが引き金となって、全国いたるところで銀行の取り付け騒ぎが起こってしまった。これが金融恐慌の始まりである。

 片岡直温(なおはる)蔵相の失言が飛び出したのは、改元されて間もない1927(昭和2)年3月14日の衆議院予算委員会。当時、若槻内閣は、関東大震災後の経済的混乱を収拾するため、議会に震災手形に関する2法案を提出していた。

 震災手形を大量に所有する企業や銀行には危機説が流れており、その最たるものが、一流商社だった鈴木商店と台湾銀行。「台湾銀行の所有する震災手形の金額を示せ」と迫る野党代議士に対し、片岡蔵相は唐突に、こう答えてしまう。

「今日正午頃に於て渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」

 この報が伝わると、東京や横浜の中小銀行に預金者が殺到し、取り付け騒ぎは全国に波及。1カ月余の間に37もの銀行が休業や倒産に追い込まれてしまったのである。