名門スイス航空はなぜ破綻したのか? 堅実経営「空飛ぶ銀行」に起きた悲劇をご存じか

AI要約

スイス航空は、堅実な経営で知られ、高いサービス品質で人気を集めた航空会社だったが、1990年代に経営破綻し、スイスホテルなどの関連企業も売却されることになった。

スイス航空は世界各地への運航網を持ち、高い評判と安全性で「空飛ぶ銀行」と称されるほどの地位を築いていたが、欧州の航空自由化の影響で経営が悪化し、破綻に至った。

スイス航空はネスレとの合弁でスイスホテルを設立し、航空会社としてだけでなくホテル経営でも成功を収めていたが、その後の経営破綻により売却される運命にあった。

名門スイス航空はなぜ破綻したのか? 堅実経営「空飛ぶ銀行」に起きた悲劇をご存じか

 南海なんば駅(大阪市中央区)に直結する高級ホテル「スイスホテル南海大阪」。このホテルのブランド「スイスホテル」は、かつてスイスを代表する航空会社・スイス航空が傘下企業を通じて経営していた。

 スイス航空はサービスの高さから人気があり、

「空飛ぶ銀行」

と呼ばれるほど堅実な経営でも知られていた。しかし、1990年代から進んだ欧州航空の自由化の影響で経営方針を誤り、破綻してしまった。その結果、スイスホテルも売却されることになった。

 本稿では、スイス航空の歴史や経営破綻の経緯、そしてそこから得られる教訓について解説する。

 1931年に設立されたスイス航空は、時代ごとに新しい機材を導入し、チューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼルなどの大都市を中心に、欧州だけでなくアジア、北米、南米、アフリカなど世界各国へ運航していた。

 スイスと世界をつなぐナショナルフラッグキャリアとして位置付けられていたが、政府の資金に頼らず運営されており、堅実な財務体質と高い安全性を誇っていた。そのため、1970年代前半には「空飛ぶ銀行」と称されるほどの高い評判を得て、欧州を代表する航空会社のひとつとなった。

 スイス航空のネットワークは拡大を続け、1980年の終わりには就航都市が196に達していた。1957年には羽田空港への路線を開設し、アテネ、カラチ、ボンベイ(ムンバイ)、バンコク、マニラを経由する南回りで日本に乗り入れを開始している。その後も長年にわたり東京への路線を維持し、大阪にも路線を開設していた。

 高いブランド力を持つスイス航空の世界各地の事務所は、スイスをアピールする外交や観光業の場として重要な役割を果たし、重要人物との会合にも利用されていた。同航空は国際連合や赤十字国際委員会の人道的援助においても物資輸送を担当し、良好なイメージを保っていた。また、1970年代以降は空港内のハンドリング業務やケータリングなど航空関連産業にも進出し、収益源の多様化に努めるようになった。

 1981年には、スイスを代表する食品企業ネスレとの合弁で「スイスホテル」を設立し、航空会社経営のホテル経営の代表例として広く知られるようになった。堅実ながらも多様な収益源とネットワークを誇り、

「国自体の宣伝機能」

も備えたスイス航空は、1980年代までは欧州だけでなく世界の航空業界でも特に優れた企業であり、まさに栄光の時代を築いた航空会社といえるだろう。